インターネットと「マス」メディアの陳腐化、劣化
活字媒体(という言い方がすでに古めかしい)の関係者は、価格を維持することで紙の本とその希少性を守ろうと必死なのだが、そうすることで逆にインターネットの無料活字情報の風圧をまともに受け、活字商品を売れなくする悪循環に陥っていることに気づこうとしない。情報(コンテンツ)の価値は、希少性よりはまず流通性から生まれるので、知られなければ希少価値さえ生れるはずもなく、価値は下がるからだ。ダイヤモンドを見たことも聞いたこともない者にとって、それは価値ですらない。本を読まない人々にとっては、本の識別さえ困難で、まして希少性など認められないだろう。メディアの神官たちが希少性の神話を必死で守る姿は痛々しいものがある。
旧来のメディアを使って「話題」を作り出そうにも、とてもコストが引き合わないし、「選択と集中」をすれば、ますます先細りとなる。話題を追えばコピーが増え、浅い井戸はすぐに枯れてしまう。外から眺めればそんな風景だが、これは日本の縮図でもある。ネットの影響を受けやすいニュースメディアの情報は「スポンサー」付きが主流となり、ますます内容を劣化させている。デジタル時代には複製情報の価値はゼロに近づくというのに、「マス」メディアの希少性=特権を信じて、ワンパターンの情報を垂れ流すことによって、情報内容の価値(独自性=希少性)を進んで毀損しているのだから、ほとんど「自爆」に等しい。新聞の社説が、口を揃えて増税を合唱しても、「スポンサー」は評価するかもしれないが、金を出して読もうという奇特な人は減るばかりだ。
余談だが、活字やパッケージメディアの衰退を最も早くから意識していたのは、おそらくアマゾンだろう。本やCD/DVDは主要な商品であり、これらが衰退すれば本を機軸にコマースを展開するアマゾンの戦略が機能しなくなるからだ。インターネット=無料という常識に反して、アマゾンはデジタル活字情報をそのままオンライン販売する仕組みを、長い時間をかけて考案し、実験を繰り返し、おそらくベストのタイミングで立ち上げた。紙の本と補完的な関係を持つものとしてKindleビジネスをデザインしたのはアマゾンである。それは「活字文化」のためではなく、アマゾン自身のためなのだが、カニバリ論者には理解の及ばないことだろう。アマゾンは、デジタル革命を(短期的利益のために)遅らせるのではなく、逆に(長期的利益のために)速めた。その変化をどうコントロールすればいいかも知っていた。アマゾンが優れているのは、イノベーションを包摂できた点だと思う。イノベーションに背を向けていては滅亡する。
設備、消耗品、スキル
出版にはカネがかかった。それは制作・複製・配布するのに紙やインク、輸送手段といった高価な設備・資源を必要とする上に、そうした希少な設備を扱う技能と、一定規模の組織を必要としたためだ。江戸時代の出版コストも、現在の物価水準に置き換えれば、ほぼ同程度であったと言われているから、驚くべきことに、機械文明の時代になっても、低部数の印刷物に限れば、出版費用はほぼ一定していたということになる。活版や写植で活字を組むのは、板木に字を彫るのと、コストにおいてあまり違いはなかった。今年は日本語ワープロが発売されて30年あまりになると思うが、ワープロが一般に普及し誰でも「活字」を入力できるようになるまでは、少なくとも1文字1円以上という時代が続いていた。活字を組む費用は、部数の少ない出版物ほど重い。出版人が小売価格に敏感なのは、版下をつくるコストが高いことからきている。(図は17世紀末フランスの奇人ニコラ・ラルメッサンが描いた職業別コスチューム集)
現在では「活字」という言葉が死語になるほど、活字そのものに付加価値はなくなった。ワープロが100万円以上した時代には入力が商売になったが、それはもうない。文字データは再利用・検索が可能で、フォントやレイアウトの指定も自由に変更できる。つまり熟練の職人の一発勝負ではなく、デザインの知識があればページが制作できるし、知識がなくてもテンプレートがあればよいということだ。テンプレートも改良されるので、最初は単純で素人っぽかったのが、だんだんとそれらしいものが自動生成できるようになる。こうして知識と経験と技が求められる仕事が次々と失われていった。ルール化されれば自動化され、処理ルーチンは複製され、いずれ無料化する。
ページを制作するために必要な、原稿整理、レイアウト指定、ワープロ+入力作業、版下制作、製版という作業は、すべてソフトで行える。一連の作業は、通常分業で行われるが、デザイナーや編集者が一人でやろうと思えば出来る。DTPのコスト削減(つまり人減らし)効果が実際に効いてきたのは、制作コストの制約が厳しくなってからだろう。ちなみに日本で文庫と新書が激増したのは、この削減余地を余すところなく使い尽すためだ。「日本では文庫と新書があるので電子書籍など要らない」という暢気な人がいる。しかしもう後がない。問題は文庫と新書が増え続けるのに、置いてくれる書店が減り、その価格で読む人も減っているということなのだから。
スキルというものはプロセス(作業+手順)に依存し、プロセスは技術に依存する。紙か電子かと無関係に、デジタル時代の出版は、基本的にデジタル・ベースの生産・流通・コミュニケーションとして動いているから、アナログの知恵を生かすも殺すもデジタル・スキルしだいだ。逆も真で、デジタル技術もアナログの知恵がないと無用の長物になる。両方を知らないと、コンテンツごとの最適なバランスも分からない。日本の出版社が電子化に抵抗を示す理由の一つは、もともと社内ではDTPを行っておらず、紙の書籍を制作する従来のコストの上に、E-Bookの製作コストがオンされるからだ。アナログ→デジタルはこの上なく不経済、非効率であり、ここから動けなければ、デジタル・ファーストの出版社と競争できない。これは制作プロセスの再構築の問題で、印刷会社の協力がないと難しいが、印刷会社も出版社も、紙を守ろうとして共倒れになるよりは、協力して前進したほうがいいだろう。
出版の本質的な価値は「(知識)コミュニケーションの最適化」である。プロダクト(コンテンツ)とその価値を最大化するためのサービスはその手段である。著者あるいは顧客にとっての価値を最大化するプロダクトとサービスの組合せをデザインするという仕事は、モノとしての紙の本を作ることと、重なる部分とそうでない部分がある。しかし、技術やプロセスが変わっても、出版の価値の実現という仕事は同じであり、それが簡単ではないこと、つねに自動化できない部分があり、そこに価値があることも変わらない。(この項おわり)
職業としての出版(2.0)試論 鎌田博樹
イントロ(問題提起と全体プラン)
1. 希少性と価値(本号)
2. テクノロジーとメディア
3. 知識と技能
4. 価格・市場・ビジネス
5. 生産性と創造性
6. プロフェッショナリズム
7. コミュニケーションとソーシャル