オープン・パブリッシングは一つの産業=社会システムのビジョンなので、多少とも理論的な根拠を明確にしておく必要があると思う。妥当性についてはバリューチェーン理論に、技術的実現性はサービス指向アーキテクチャ(SOA)に依拠しているが、出版界では(本のテーマとして以外に)なじみはない。しかし、デジタル時代の出版の再編成の底流にはこの2つがあり、それをアマゾンが体現している。われわれがオープンにしなければならないと考えている21世紀のビジネスの構造について述べる。
01. オープン・パブリッシング(OP)とは、情報の発信者(≒著者…)と、受信者である消費者(≒読者)のコミュニケーションにおいて、それぞれが最大限の選択の自由(≒価値)を享受できる、コンテンツ出版環境(サプライチェーンおよびエコシステム)を意味する。両者を結ぶコミュニケーションの価値を最大化するプロセスを―様々な付加価値を提供するサービスを自由に利用することによって―選択・構成できるというとことがポイントとなる。
- 著者:基本的には出版への意思を持って情報を作成・構成する人(あるいは組織)。
- 出版:一定の目的のために、記録・再現可能な(構造的)情報を社会的に共有する行為。
- 読者:様々な動機のもとに、出版物にアクセスし、情報を消費・利用・保存する個人。
- サービス:経済活動において効用や満足などを提供する、無形の財。
- 相対的に多くの自由を享受するのは、商業出版においては金を出す側(読者)である。
02. オープンとは、コンテンツやサービスが自由に選択でき、相互運用が可能であることを意味する。OPは、バリューチェーン(VC)という経営理論とサービス指向アーキテクチャ(SOA)という、システム・コンセプトを前提にしている。これらは事実上表裏一体として、21世紀のビジネス・イノベーションを実現し、今日のIT製品やサービスはこれらをサポートすることを標榜している。
- 自由:組織(企業、業界…)、技術、国などの境界に依存せず、それらを相対化することを意味している。
- バリューチェーン:1985年にマイケル・ポーターによって提唱された経営理論。VCを産業レベルに展開したものがサプライ・チェーン(SC)。
- SOA:一つの業務処理を行うソフトウェアをサービスとし、それをネットワーク上で協調・連携させ、システムの全体を構築していく方法論で、ビジネス・ニーズに対してITシステムを同期させるために生れた。
- コンテンツもサービスも、ともにソフトウェア・システムに近づいており、ソフトウェアとして扱うことが可能かつ(チューニングによってはかなりの程度)妥当である。それらは環境によって異なる意味(価値)を持つ。
- VC/SCはインターネット・パラダイムに入ってその威力と意味を一変させた。ネットにおいてSOAは必須であるが、それは発端から終端まで、VCがシステムのとして完結するネット環境では、システム自身が自律的に進化するためである。
03. 過去の製造業の成功体験から抜け出せていない日本では、VCはまだ定着しておらず、十分に理解されているわけではない。いわゆる破壊的(disruptive)イノベーションの影には、ほぼ必ずVC/SOAがあるのだが、日本ではこの両者の関係が理解されていないか、あるいは業務処理プロセス(と業務組織)の大胆な組み替えを伴うために二の足を踏むかのどちらかだ。SCMは最終顧客のニーズに合わせて付加価値(機能、品質、納期、価格…)を最適化させることを前提にしている。相矛盾する要求間のトレードオフのコントロールは規模が大きくなるほど難しく(ハイリスクに)なるのだが、そうしたハイレベルの人材は日本企業のマネジメントでは求められていない。
- 日本では、垂直分業か、水平分業かといった組織論に目が行っているが、VCにおける中心課題は、顧客にとっての価値の見極めと、それを最適化する方法である。成功すれば垂直と水平の矛盾は克服される。
- VCによるイノベーションは、企業と業界の風景を一変させているが、先行して勝利を収めた者が、その後も持続的に優位を保ちやすい。(アップルやアマゾン、サムスンを見よ)
- サービスプラットフォーム(たとえばオンライン書店)は重要だが、顧客ほどには重要ではない。サービスにおける価値の再定義・再構築の可能性はつねに開かれている。
04. サプライチェーン(SC)は、製造業においては通常、<原材料>と<最終製品>の間をつなぐ<付加価値>の連鎖として表現されるが、サービスの比重が高まるほど、終端はプロダクトではなく、「顧客・消費者」が中心となることが重要である。とくにネットでは、終端が―誰でもあり得るが具体的な―「個人」であり、これがサービスの提供対象となる。製造業におけるメーカーと同じく、これまでの商業出版において「個人」が意識されたことはなかった。伝統的に、ターゲットとしての読者・消費者は数(N)でしかなく、具体的な個人(X)ではなかったのだが、これは根本的に変わったのである。N×Xがターゲットとなると、まったくビジネスの様相は違ってくる。
- 最終的な提供するものが抽象的なサービス価値であるとすると、事業全体のバランスシートだけが問題であり、全体を構成する商品やサービスの価格は個別のコストを反映する必要はない。(→ロスリーダー戦略)
- 出版物(のコンテンツ)は、それが提供すべき(あるいは消費者が期待する)最終的価値の一部であってすべてではない。よく知られているように、アマゾンは「読書体験」というサービス価値を提供している。
- 形態、価格、評価情報、時間、利便性、共有性、サポートなどすべての付加価値は、それが消費者によって知覚/認識されて初めて「価値」として評価される。
- NをターゲットとするビジネスとXをターゲットとするビジネスは、基本的なルールを異にする。ネットのルールを知るアマゾンが無敵のように見えるのはそのためである。
- サービスの価値(効用・満足)を評価し対価を払う対象顧客のプロファイルが特定されることによって、出版は製造業的な性格を残しながらも、基本的にサービス業に転換する。
- E-Bookのユーザーは、コンテンツをサービス(無形財)と考えるのに対し、出版関係者は印刷本と同じと信じている。この違いは価格に対する認識の差となって現れる。結局、サービスの価格は原価には基づかず、消費者が評価する効用と満足に基づく。
(鎌田 博樹、2012-06-10)