オープン・パブリッシング・フォーラム(電子出版再構築研究会)第1期(7-9月)は、まずマーケティングからスタートする(7/25)。デジタル出版はコンテンツではなくマーケティングによって成立し、これを制するものが市場を制する。マーケティングは釣りやスポーツ、ゲームのようなものだ。「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」(論語) とはいえ、食わず嫌いな人も多いので、まず知るところから始めよう。
E-Book2.0 Forumではこれまで様々な角度からマーケティングを扱ってきたが、いま読み返してみると、外れてはいないつもりだが、断片的で要点しか書いていないものが多い(例えばこの記事)。筆者は米国流マーケティングを前提に発想するのだが、これはいまもって日本ではあまり実践されているとはいえない。21世紀に入って登場したWebマーケティングは筆者も断片的にしか知らない。E-Bookのマーケティングは未踏の分野だ。共通認識をまずつくっていく必要があると考え、とりあえず、以下のような構成を考えてみた。この通りできる自信はないが、OPFと並行して進む本連載では、ほぼ次のようなことを考えていきたい。
- 市場における流行と不易:モノからヒトへ
- 市場のニーズを知る:対話を通じた最適化(素材、価格、フォーマット、チャネル…)
- 出版市場の開拓:コンテンツの価値を知りマネタイズする方法
- 消費者との関係づくり:ソーシャル時代のマーケティング
- マーケティングのテクノロジー:方法論・手法・技法・ツール
なぜいまマーケティングなのか
E-Bookのマーケティングについて考える前に、日本では本のマーケティングすらほとんど(限定的にしか)行われてこなかったこと、あるいはそもそも日本のビジネス一般においてマーケティングが一般的ではないことを意識する必要があるだろう。筆者は過去に主としてITを中心にマーケティングに関わってきたのだが、米国と日本との「風土」の違いについて感じることが多かった。米国は市場指向が優位の社会なのに対して、日本は関係指向が優位で市場はその延長か、補助的なものとしか考えられていないということだ。
前者は市場シェアなどの課題達成を最重視するのに対して、後者は会社組織から業界に至る安定的な人間=社会関係の維持を最重視する。ごく単純化すると、前者はイノベーションを好み、後者は改善を好んで非連続的(disruptive)なイノベーションを否定する。前者の弊は短期利益を求めるあまり持続性を損なうことであり、後者の弊は狭い関係性を重視して市場=社会を見失うことであろう。何事もバランスが重要だが、日本はもともと関係至上主義的な教育がなされ、組織内でも評価されるので、経済環境が厳しくなるほど、関係性に回帰する傾向が強まる。欧米人には理解不能なことだが、日本では(電通が紹介した)マーケティングは、広告とともにあり、広告を補助するものとして普及した。しかし、不況期に真っ先に削られるのが広告・マーケ予算ということもあって、不況期ほどマーケティングへの関心は薄れる。こうした消極的リスク回避は、さらに大きなリスクを準備するのだが。
マーケティングという“アメリカン・スタンダード”な方法論は、1980年代の米国経済の不況期に構造化・精緻化された。フィリップ・コトラーらが体系化した理論は日本にも紹介はされ、訳書も山ほどあるが、実践のレベルには大差がある。市場は多様な生き物なので、ビジネスの現場で実践・検証されないと技能や判断力は向上しない。ちなみに、日本でマーケティングが進化しないのは、経営者の判断ミスをスポーツ並みに批判することを憚るほどに「関係指向」が強いためであると思われる。人格・能力・判断をそれぞれ区別して論じられるようにならないと、マーケティングは(メディアと同様)広告から独立できず、普及・進化しない。米国ではソニーやパナソニックの失敗は大学の授業で取り上げられている。
さて、現代的なマーケティングは、主として1990年代以降のグローバリゼーションの波とともに世界に拡大し、主として国内市場が未形成の新興国の輸出産業を活性化し、経済を潤した。開明的専制君主が統率するサムスンやホンハイ(電子)、ミッタル(鉄鋼)はそのチャンピオンだ。そしてインターネット・コマースに至って、マーケティングの優位は決定的となった。後述するように、トレーサブル(追跡可能)なWebの世界では、マーケティング―たんなる手法の適用ではなく、工学的・体系的な応用―がそのまま結果に結びつき、白日の下にさらされるからだ。
不幸にして、日本はこの新しいゲームに対応できなかった。バブル時代に芽生え、新自由主義で喧伝されたマーケット指向も、金融市場を一時活性化させただけで、実体経済では(楽天やソフトバンクを例外として)結果が出ないために弱まった。官庁・大企業中心の日本の産業社会秩序(濃密で一枚岩的な関係性のネットワーク)は、新しい世界市場で敗れ続けたことで、流動化するどころか逆に硬直している。パイが縮小する中で、日本の社会はますます後ろ向きの関係指向に後退しているのである。筆者はマーケティングが万能とは思わない(そもそも万能など存在しない)が、社会全体のデジタル化、ネットワーク化が進行する中で、旧秩序の費用対効果が悪化し続けて産業=社会関係全体を機能不全に導くことを懸念している。余談だが、楽天の三木谷氏が英語を公用語化したのは、煩瑣で曖昧なカイシャ日本語を禁止し、課題達成のためのシンプルで明瞭なビジネス英語を用いることで意識革命を図ったのだと思われる。日本語でも出来ないことはないが、この国にいるとむしろそちらのほうが難しい。
出版の危機とマーケティング
さて、日本の中でも最も関係志向性が強い出版界は、とにかく市場嫌いで、その理由付けに「文化の多様性の保護」を看板にしていることで知られる。市場が文化を主導すべきではないというわけだが、その当否は措くとしても、この姿勢は業界全体に好ましくない体質を定着させてきたと思われる。たとえば、
- 緻密なマーケティングをしない。結果(とくに失敗)の分析をしない。
- 当たり前の顧客サービス(例えば注文への対応)を軽視する。
- マーケティング能力を持った人材を正当に評価しない。
- 雑誌を例外としてサービスの開発に不熱心。
- テーマに引き篭もり、読者と対話しない。
- 関係重視・競争抑圧型な取引慣行に狎れ、商売に無気力になる。
- もっぱら(特定の)著者との関係に依存するようになる。
といったことだ。市場を嫌えば市場に嫌われ、嫌われれば怖くなる。昔から、頑なな者には次々と災いが降りかかることになっている。この15年以上、市場は毎年3%あまりのペースで縮小を続けている。アマゾンのせいではない。24時間営業・迅速配達のアマゾン書店がいなければ市場の縮小はさらにハイペースだったろう。何がまずいかといえば、出版における商品開発力、顧客開発力、サービス開発力が低下していることだ。コミュニケーションがネット中心になりつつある時に、いまだにこれを使う方法を掴んでいないし、その努力も十分ではない。出版において業界内の「関係性」はなお重要だとしても、それは新しい(価値創造的な)関係性を拡大再生産することが出来るかどうかという結果によってしか評価されないだろう。
関係指向性が強い、と言ったが、それは書籍を中心とした業界風土のことで、もちろんそれで出版という商売が成り立ってきたわけではない。消費者は何でも買ってくれない。優れたマーケッターは存在したし、現在もいる。ただ「マーケティング」というスキルとして評価されてこなかっただけだ。出版の中で最もマーケティング・センスが要求されてきたのは雑誌とマンガである(ちなみにこれらは欧米では出版市場にカウントされない)。優れた雑誌編集者は、広い視野と、対象を様々な面から見られる複眼を持っており、広告などを通じて社会との接点が多い。高度成長が続いたら、彼らのセンス、経験と勘だけでヒットを出し続けることも不可能ではないと思える。しかし、不幸にして雑誌ビジネスは縮小を続け、活躍の場はますます狭まっている。社会が変わり、メディア環境が変わっている上に、試行錯誤が出来る余地も減っているのだから、オールラウンドな編集者のホームラン(あるいは特攻出撃)に期待するのは、経営者としては虫が良すぎる。彼らに無理を強いず、その能力と経験を生かせる方法を考えなければならない。限られた時間で。 (鎌田、2012-07-23)
[…] アマゾンの強み 投稿日:2012/07/25 作成者: admin IT活用講座Home /WEB戦略・構築 /アマゾンの強み この15年以上、市場は毎年3%あまりのペースで縮小を続けている。アマゾンのせいではない。24時間営業・迅速配達のアマゾン書店がいなければ市場の縮小はさらにハイペースだったろう。何がまずいかといえば、出版における商品開発力、顧客開発力、サービス開発力が低下していることだ。コミュニケーションがネット中心になりつつある時に、いまだにこれを使う方法を掴んでいないし、その努力も十分ではない。出版において業界内の「関係性」はなお重要だとしても、それは新しい(価値創造的な)関係性を拡大再生産することが出来るかどうかという結果によってしか評価されないだろう。 http://www.ebook2forum.com/2012/07/restructuring-book-marketing-1-introduction/ […]