ITと融合し、顧客指向で改善する21世紀のマーケティング
インターネット時代のマーケティングは、顧客との一対一の関係の形成と永続化を指向している。それは狭い業界の中、あるいは限られた業界の間での関係形成を指向した日本的ビジネスはもちろん、マスとしての「商品市場」を見ていた伝統的なマーケティングからの根本的転換を意味する。消費者から発想するアマゾン流のマーケティングは、本>小説>ミステリ>…という具合にカテゴライズし、細分化していく伝統的なアプローチも取り入れているが、同時に例えば「ミステリもSFも時々読むが、もっぱら特定の作家に偏り、大学時代からサッカー好きで、戦術書や選手の伝記に関心を持ち、音楽ではジャズを真空管アンプで聴く関係で、それらの情報に敏感で…、といった散漫なプロファイルを持つ生身の人間に何を提案したらよいのか、というふうに発想する。顧客が100人いれば100通りの提案(パターン)が必要になるかもしれないが、100通りの提案は10,000人の顧客に対してかなりの有効性を持つだろう。これは一人の有能な書店員が、よく知っている顧客に話しかけるのと同じだ。彼は顧客の好みを知っており、前回(以前)何を買ったかを知っている。満足したかどうかを聞いてから、新刊や既刊本の中から提案をして反応を見る。Webが違うのは、すべてはコンピュータ(システムのロジック)で行われ、やり取りは記録されることだ。これだと顧客が100万人、1,000万人になっても対応でき、ログをみてロジックを調整することが出来る。
重要なことは、何をどう提案するかは、販売担当者が組み立てたロジックに従って行われ、結果はたえず検証されフィードバックされることだ。その意味で「コンピュータ」に任せることはない。水のように変化する市場を写し取り、それに即応できなくなるからだ。個客ごとのおすすめ商品を前面に出したアマゾンのサイト・デザインは、おそろしく素っ気ないが、ショッピングには信じられないほど有効だ。サービスの極意は顧客を知ることだ、それは有能な人間にしか出来ず、多数を相手にすることも出来なかった。だから「上得意」から「一見」まで区別して対応するしかなかった。アマゾン(に代表される21世紀のオンラインコマース)は、新書1冊を買った顧客まで「上得意」のような対応をする。日本のコマースサイトも進化はしているが、やはり差は開くばかりだ。原因はシステムに対して受身で、開発技術者は商売(顧客)を知らず、オペレーションスタッフはコンピュータに対して能動的に関われないためである。現在のコンピュータ・システムは「知識」をルールとして扱うことが出来るが、ルールを発見し、改善できるのは人間だけだ。教育のせいか、日本人はルールに弱い(他人のルールに縛られる)。また欧米の多くの企業ではシステム部門が存在せず、エンジニアはビジネスの現場で採用され、プログラムを開発し、調整する。日本の体制は20年前のものだ。これもマネジメントのITリテラシーが低いためと言わざるを得ない。
21世紀のマーケティングは、20世紀消費文明型のマスマーケティングとは異なる。それは広告媒体を喜ばせるものではないし、ITベンダーを喜ばせるものですらない。個人のアイデアとチームワーク、安価で使い易い最新ツール/サービスを武器としてたたかうものだ。Webマーケティングが本格的に機能するようになったのは20世紀の末頃だったが、SNSやクラウドサービスが普及したこの10年でさらに変貌を遂げた。アマゾンがやっていることに近いことは、そのスケールを別とすればある程度できるようになっており、その領域は日々拡大している。デジタル出版の成長力と潜在性が証明された現在、新規参入者は一気に拡大するだろう。デジタルへの恐怖に感染した出版社には心理的に不可能なことを、数人規模のチャレンジャーが達成するだろう。ルールは変わったのだ。
ルールは変わった。しかしマーケティング(商い)の本質は変わっていない。それは顧客指向であり持続性(sustainability)だ。<nからxへ>という21世紀のマーケティングは、じつはxだけを相手にしていた中世的な商い(顧客指向・関係重視)の復活でもある。大型輪転機・製本機で大量の紙とインク、燃料を消費する工業的パラダイム、エンドユーザーが使えないコンピュータの旧「情報化社会」の命数は尽きようとしている。これを大きな機会と考える人々にとって、マーケティングははじめて身近な存在となっている。筆者は近代以前の「商い」「市場(いちば)」の復活を夢見ている。(鎌田)
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