出版が「マーケティング」を考えなくて済んだ時代は終わった、ということを縷々述べてきたのだが、専売商人でもない出版社が、リスクの高い情報商品を売る、というビジネスモデルが、マーケティングもなしに成立してこれた根拠は、もう少し厳密に考えるべきテーマだと思う。業界関係者にとっては、あまりに自明な(のでたぶん考えたこともない)のだろうが、あと10年もすればたぶん、そんな薄氷を踏むようなビジネスモデルじたいが信じられないことになるだろうから。
(本稿は、2以下に進むための過去と現状の整理となります。)
0.イントロダクション:なぜいまマーケティングか(#1)
1.市場における流行と不易:モノからヒトへ(#2、前回)1.x 旧ビジネスモデル崩壊の原因と市場インフラとしての価値評価(#3、今回)
2. 市場のニーズを知る:対話を通じた最適化(素材、価格、フォーマット、チャネル…)
3. 出版市場の開拓:コンテンツの価値を知りマネタイズする方法
4. 消費者との関係づくり:ソーシャル時代のマーケティング
5. マーケティングのテクノロジー:方法論・手法・技法・ツール
旧ビジネスモデルは自壊しつつある
そのビジネスモデルとはどういうものか。欧米との比較で特徴的な点をあげてみよう。
- 出版社は主として取次(委託販売業者)を通じて販売する(約7割)。
- 取次は全国1万5,000の書店に配本し、在庫管理、返本/廃棄処理まで行う(2社の寡占)。
- 書籍・雑誌が一体である(というよりは本来雑誌優先のシステム)。
- 返品可能で、返本率は4割弱に達する(返本分は展示用との考えもある)。
- 価格は出版社が決め(直接費の約3倍)。発行部数は取次との合議で決める。
- 出版原価の大部分は直接費(固定費+変動費)。
- 取次は書店から販売代金を回収し、出版社に支払う(決済+金融機能)。
出版取次は委託販売ではあるが、出版社と取次会社の間の取引は売買とされ、商品の所有権は移転するものの返品が可能という変則的な形態である。出版社にしてみると、売掛債権を譲渡して資金回収を早めるファクタリングに似ている(ただし完全買取ではない)。販売予想はしばしば外れるので、初版は原価が回収可能な程度の部数しか刷られないことが多い。5,000部としても、全国書店の3分の1にも届かない。年間7万点ほどが出版されていので、書店は月に5,000~6,000点の新刊本を受け入れる。その分の棚を空けるために、1ヵ月以下で返本されるものも少なくない。書店在庫としたり、返本を倉庫に保管したりすることは、税務・経理上からも困難だ。書籍は本来、耐久性に優れた商品であり、内容的にも超時間的価値を主張するものの筈だが、実際にはスーパーの生鮮食料品のように扱われているのである。
日本のビジネスの宿命でもあるが、「売掛金」の清算と処理の形態はとにかく複雑で、当事者の組合せによって異なる。出版社と取次の関係と同様、取次と書店の間の決済処理も同様で、大型書店の決済サイトは異常に長期化している。これらにより、見掛けの売上はキャッシュフローとかなりかけ離れたものとなる。また統計上も、欧米との比較を困難にしている。欧米の出版社は卸販売額(定価の約50%)を売上額とするが、日本では定価額が計上される。3割余り水増しされている勘定だ。このシステムの主役が商社たる取次であることは明らかだろう。取次は、情報・金融・物流という、一般的なビジネス・インフラのすべてを握る。たとえば地域マーケティングは、出版社ではなく取次が行う。現実にはかなり粗い「パターン配本」で対応するのだが、その目的は売上の最大化と(トレードオフの関係にある)返本率の抑制だ。出版社はその有効性を受け入れるしかない。
そうしたシステムの下で、1997年以降の15年間、業界は衰退の道を歩み続けている。売上の3分の1、書店の3分の1が失われ、逆に出版点数は2010年まで15%も増加した。かつて「出版不況」と言われたが、15年も続く不況はあり得ない。もちろん構造的要因だ。その後「活字離れ」が言われたが、これは消費者のせい、インターネットのせい、と責任を転嫁するもので、そうまでおっしゃるのなら交代いただいたほうがいい。衰退したのは日本固有の現象なのだから。ようするにバブル期までの成長を支えてきたビジネスモデルが空転を始め、至るところにヒビが入り、解体を始めていたにもかかわらず、供給量の拡大という自滅的な対応をしたために、一挙に出版の危機にまで拡大してしまったということだ。出版点数の増大は、DTP革命による生産コストの減少というボーナスをすぐに食い潰してしまった。デジタル化と国際化という要因を無視すれば、2020年までに出版社と書店の淘汰が進むだろう。
仮に買取制で返本がなく、市場の取引を通じて(買い手にとっての)適正な<価格と価値>を窺うことができるシステムであったならば、出版社は濫造したりはしない。また売れない本はゼロに向かって価格を段階的に引き下げていけば、売れ残りは最小化できるし、なにより、出版社は売れなかった理由をよりよく知ることができる。価格を下げれば売れるものもあるし、セットにすることで売れるものもある。ほとんど消費者の関心を惹かなかった理由について考えることもできる。マーケティングはこうした情報から組み立てられるのだが、価格が固定で店頭販売期間も限られていたのでは、知り得ないことが多すぎるから、考えない習慣が身につくほかないだろう。再販価格維持システムの最大の問題は、消費者にとっての価格と価値の問題から目をそむけさせたことだと思う。目をそむけた結果、よいものができる可能性はある。しかしどちらかといえば、値付けの失敗の結果、売れたかもしれない本を物理的に破壊し、消費者を書店から遠ざけた効果のほうが大きいと思う。そしてこの15年は、売上を減らし、産業的危機を招いている。(→次ページに続く)