落語の口演をもとにした口述本は、明治初期の人気コンテンツというだけでなく、「言文一致」の母体ともなった。口述本に親しんだ読者大衆が市場としていなければ、翻訳だけから新しい文字言語が生まれるはずはない。「明治二十年」は、まさに活字作家の鼻祖たる坪内逍遥、二葉亭 四迷らによって近代文学の礎が築かれた時期と重なる。とすると…。小生の真っ向勝負を受けた小林さんの漫談は、さすがに重要な点を衝いている。(編集子解題)
「和本明治二十年問題」をめぐって/小林龍生:落語と近代日本語
橋口さんとの劇的な出会いについては、別に書くことにして。鎌田さんが真っ向勝負で、大上段に切り込んできたので、ぼくは、ちょっといなすことにして。ここ数年、しばしば、歌舞伎を見たり、落語を聞いたりするようになっています。ご存じの方もおいででしょうが、ぼくは、わりと根っからの西欧派で、クラシック音楽、中でも、オペラには目がないわけです。食べ物だって、基本はフレンチかイタリアン。ワインは、ちょっと外してカリフォルニア。浄土宗と真言宗の区別は付かないけれど、共観福音書に関しては、ちょっと言いたいことがある。
そんなぼくが、歌舞伎だ、落語だ、日本酒だ、というのですから、まあ、寄る年波には勝てない、ということで。
昨年、三遊亭圓朝のライバルだった談洲楼燕枝の島鵆沖白浪(はまちどりおきのしらなみ)という長編を、柳家三三が復活上演するのを聴きました。全6回のうち、聴けたのは3回だけでしたが。
今年からは、古今亭志ん輔が3年か4年かけてやるという三遊亭圓朝の「真景累ヶ淵」の復活上演を聴いています。で、2回目を都合(先に「マダムバタフライ」のチケットを取っていた)で聞きそびれたので、後れを取ってはならじ、青空文庫から速記本を落としてきて、発売されたばかりのkobo touch(まあ、iPad上のi文庫も併用しましたが)で、通読。勢いで、「怪談牡丹灯籠」もやっつけてしまいました。
そう言えば、過日読んだ辻原登の小説『円朝芝居噺 夫婦幽霊』(講談社文庫、Book Offで入手)が、すこぶる面白かったですね。圓朝の幻の落語「夫婦幽霊」の速記録(それも田鎖式という今では滅びてしまった方式)が現れて、その解読をするというところから始まる小説。もちろん、ちゃんとした入れ子細工になっていて、圓朝風の怪談が展開されるのだけれど、その真偽は、最後まで謎、というしゃれた作り。
そんなやかんやで、Wikiの圓朝の項を見ていたら、新聞に連載された圓朝落語の速記が二葉亭四迷の言文一致体に影響を与えた、との記述。う〜ん、何だか、ムズムズするつながりが。
興味のついでに、燕枝の沖白波をGoogleで調べたら、もう一つ面白いことを見つけました。近代デジタルライブラリーに明治16年〜17年発行の和本のデータが入っているのです(1回〜20回)。
ところが、そのすぐ下の21回〜38回の分は、どう見ても、活版なのですね。
版元は、どちらも滑稽堂。さあて。「真景累ヶ淵」の速記本が発行されたのが、これまた奇しくも明治21年。
なんだかさあ、橋口さんの明治20年説というのは、単に和本から洋本への変革と言うことだけではなく、日本語の文化という意味でも、ものすごい激動の時期だったのではないでしょうか。
そのような時代の口演の記録を現代の落語家たちが紐解いて、再度口演する、というのも、ちょっといい話だなあ、と思う次第。
ちなみに、先日聞いた話ですが。参議院(多分衆議院でも)もう数年前から、新しい速記者の養成はやめているそうです。速記というメディアが、(その当時の)新しい日本語の成立を下支えしていたことに思いを馳せると、ちょっと感傷的になったりして。(小林、2012-08-29)
[…] 「島鵆沖白波(はまちどりおきのしらなみ)」(→前稿*)の和本と活字本を巡って、鎌田さんが思いもしていなかった論点(鎌田2)を抉りだしてくださったわけで。 […]