日本の出版文化は江戸と明治の間で断絶している。日本語も文学も変わった。著者と読者の関係も。それは「文明開化」のせいだと聞かされていたのだが、小林さんの前回の話を読んで、どうやらそれは「活字」や「文字組み」と関係がありそうだという気がしてきた。和本と活版本の文字の最大の違いは、平仮名の続け字である「連綿体」である。どうしてこれは活字化されなかったか。それによって何が起きたか。(鎌田)
「書物における明治二十年問題」/鎌田2:日本語における活字
ワタシゴトですが、学生時代に謄写版を扱って以来、「活字印刷」は大きな憧れで、簡易和文タイプライターの「パンライター」を購入して同人誌を製作したこともあります。いつかは活版印刷物を、と考えていたのですが、活版印刷所は徐々に消滅して写真植字中心となり、やがてワープロ+写植を経てDTPが登場しました。文字フォントは写植系のものが使われていますが、いまでも活版時代の活字に愛着を持っています。写真やドットの文字にはないリアルな迫力がある。
しかし、今回「和本」をつらつら眺めていて、能書家が清書し、腕利きの職人が彫刻した木板本の美しさと読みやすさに驚かされました。とくに漢字仮名混じりの古文は、筆写本を忠実に再現した木版がベストだと思います。木版本に慣れた人が圧倒的だった明治時代前半には、活版本などとても読めたものではなかったろうとさえ想像します。単語/文節/句/節を分けない日本語表記では、音読を前提とした自然な(書家によって微妙に違う)筆写は、活字の「文字組み」などよりはるかに読みやすいことは確かです。読みやすさにおいて、日本語に最適化した木版印刷技術は、相対的に低い生産性を補って余りある優位を持っていたはずです。
前回小林さんが見本として載せた「沖白波」の活字版ですが、ルビの助けを借りて判読は可能であるものの、口述文学作品に必要な「流れ」というものを見つけるのは困難です。とても落語の稽古には使えそうもない。字面から読む限り、木版と活版の違いは、印刷本と(よく似た版面の)電子本の違いどころではない。明治の人は戯作を読むために活版印刷物を買うことはなく、新しいスタイルの「小説」や実用書を読むためでもない限り、買わなかったのではないでしょうか。「明治二十年」は、活字に最適化された新しい「コンテンツ」が優勢になってきた時期とみることもできます。また近世までの日本の古典が(木版という最適な出版手段を失って)急速に廃れた時期とも。
小生はデジタルに親しむとともに、活字組版について別の見方をするようになってきたのですが、最近では「縦組が日本語を唯一正しく、美しく表現できる」と考えるのもフィクションと考えています。標準化された活字が均等に並ぶ文字組みは、さながら分列行進のような凄みがありますが、それは活字の「権威性」の象徴のようにも見えます。活版印刷は、金属活字の供給体制、インクと用紙の供給、印刷機、製本機などのシステムを必要とするために、商業印刷で優勢となるには600年以上もかかりました。しかし、いったんシステムが構築されてしまえば、初期投資と生産性が威力を発揮しメディアとしてのオーラを振り撒くようになる。日本人は金属活字に対する免疫がなかったから、公教育の普及とともに中央集権国家を支える管理と統治の装置の一部にもなったと思われます。
日本の活字は、中国上海に米国人宣教師が設立した美華書館 (The American Presbyterian Mission Press)の明朝活字を複製したのが源流となったことは、むかし読んだことがあります。現在使用している日本語文字フォントの源流は中国にあり、これは中国語の整然とした文字組にはよくても、当時の日本人が親しんだ、毛筆手書きの「連綿体」には適さない。平成明朝体の作者である小宮山博史さんがお書きになった「タイポグラフィの世界 書体編」の「連綿体仮名活字」によれば、明朝風活字に合わせた連綿体仮名活字の開発に取組んだ人がいたようで、なんとウィーンの王立印刷所が1847年、柳亭種彦の『浮世形六枚屏風』(1821)を覆刻した際に開発・使用しています。つながりによって字形の違う活字を用意し、自然に見えるように組むのは至難の業と思われるのですが、驚くほどよくできています。製作した活字字種の合計は856字で、うち平仮名が481字もあります。この活字は日本伝道を志した英国人宣教師が1873-4年にウィーンで刊行した聖書(ヨハネ、ルカ各福音書と使徒行伝)にも使われました。
しかし、連綿体にこだわったのはもっぱら宣教師たちだったようで、連綿体用の仮名活字、あるいは嵯峨本のような連字活字の使用は、むしろ日本では広がらなかったようです。組版がおそろしく複雑になり、美的センスも必要なので、生産性の面で消滅していったのでしょう。日本語に最適な印刷表現にこだわらず、活字印刷の生産性のために日本語を変えることを辞さなかった明治の日本人は、現代よりも合理的だったということでしょうか。しかし、そのために大きな文化的断絶が生まれました。読書は江戸時代のような余裕を失い、眼鏡をかけ、眉間にしわを寄せて読むようになっていったのではないかと思われます。
さて、ここらで問題を提起したいと思います。
- 現在も使われている活字は、近代以前の日本の古典を読むには適していない。それどころか、日本語表現にも適していない。日本人にはなおストレスの多いものなのではないか。少なくとも連綿体の復活なくして縦組の存在価値はないと思われる。
- いまこそ富国強兵時代の「分列行進型」組版の発想を離れて、読みやすさを重視したフォントや文字組版を考え直すべきではないか。それにより、口述落語の自由で精彩に富む言語表現を継承する文学作品も生まれてくるのではないか。
もしかすると、ポスト・グーテンベルク(デジタル時代)のフォントデザイナーやエディトリアルデザイナーには、日本語コミュニケーションに新たな創造性をもたらすような大きな仕事が待っているのかもしれません。グーテンベルクの42行聖書は写本と見紛うばかりな活字が組まれていましたが、その後半世紀あまりで活版は写本から完全に独立しました。現在の「電子書籍」は遠からず印刷本から独立するでしょう。その際には日本の失われた出版文化が復活することに期待しています。 (鎌田、2012-09-03)
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