以前から小林さんにやいのやいの言われていたことが、ようやく鎌田なりに言語化され、橋口さんを含めてキャッチボールできる状態になったのは嬉しい限り。連綿体はリガチャだったんだと気づいたのもこの数日。単語の識別を容易にするリガチャは、アルファベット圏のデザインの基本だが、これは日本語が金属活字の導入で便宜的に放棄したもの。それが新しい言語表現を生んでいったのだが、これがデジタルで復活したら…。考えるだけでゾクゾクしてくる。(編集子解題)
「書物における明治20年問題」を巡って/小林2:メディアと言語
「島鵆沖白波(はまちどりおきのしらなみ)」(→前稿*)の和本と活字本を巡って、鎌田さんが思いもしていなかった論点(鎌田2)を抉りだしてくださったわけで。
以前、このフォーラムで書いた、夏目漱石の『吾輩は猫である』と初出形態の行長を巡る論考**も、みごとに相対化されてしまいました。トホホ。
要は、漱石と新聞小説を巡る問題は、漱石一人の問題ではなく、明治20年問題を含む、もう少し長い流れの中でのメディアの変遷と日本語の変遷の問題として、捉え直さなければ行けない、ということ。(写真は明治44年の大倉書店版)
そう考えてみると、「島鵆沖白波」の木版の墨跡と活字本の版面との対比は、計り知れない示唆に富んでいるのかも知れません。
ぼくは、ユニコードという世界の文字コードを統一的に扱おうという、ちょっとバベルの塔的なプロジェクトに係わっているのですが。欧米のいわゆるラテンアルファベット圏でも、いまだに新しい文字の提案が出てきます。多くは、ヨーロッパの中でも比較的利用者の少ない言語や歴史的言語に使われる文字です。そのほとんどが、通常のラテンアルファベットを基にして、フランス語やスペイン語などのようにダイヤクリティカルマークというアクセントの付いたアルファベット類(áやãなど)やリガチャといってæçのような複数の文字の合字のようなものです。
鎌田さんの論考にもあったように、グーテンベルクは、42行聖書を印刷するにあたって、可能な限り、当時の手写本の技法を忠実に模倣することを試みました(写真左)。当然、手写本において正確性や審美性を保ちつつ能率よく手写するための手段として使われていたリガチャ(合字)も、そのまま忠実に模倣しようと努めました。その状況は、鎌田さんが触れておられる嵯峨本のありかたと酷似しています。
そして、グーテンベルクの試みは、その後の活版印刷から写真植字、電子組版に至るまで引き継がれます。
ドイツは、近年になって、正書法を変更しました。 1998年に施行されて、2005年までが移行期間だった由。1901年以来の変更とのこと。
その変更そのものには、賛否両論があるようですが、この文脈の中では、広い意味のリガチャであるß(eszett)が係わります。100年の単位で正書法に修正を加えることも驚きですが、グーテンベルクが引き継いだ手写本の伝統が未だにごく僅かな変更とはいえ見直しの対象となっているということにも驚きを禁じ得ません。
朝日新聞に小説を連載するに当たって、夏目漱石がさまざまな工夫をしたことは想像に難くありません。自らが日頃親しんでいる和本の世界、学問として学び留学まで果たした英文学書籍の世界、それらと引き比べられる勃興なったばかりの日本語活字の世界。新聞小説の行長に合わせて特注した原稿用紙の升目を埋めていきながら、それが活字として組まれ読者の目に触れるさまに思いを馳せることで、漱石は今に続く近代的な日本語の姿を作り上げていったに違いないのです。
そして、今。
ぼくたち(広い意味で日本語のデジタル処理に係わっている人たち)には、今、新しい日本語の姿を模索している人たちが次の時代にメッセージを伝える営為を下支えする責務があると思うのです。それは、多分、橋口さんも鎌田さんも、繰り返し言及されているように、今現在出版されている書物を縦のものを横にするような形で無批判に電子化することだけでは決してすまないことであるに違いありません。
温故知新。(小林龍生、2012-09-04)
参考
ドイツ語の正書法変更をめぐる議論については、以下の論考がおもしろい。
- 「玉ねぎ魚現象とドイツ語の新正書法」、Gudrun Graeve、「立命館言語文化研究」18巻1号