暑い夏の間が中断していましたが、10月3日にオープン・パブリッシング・フォーラム(電子出版再構築研究会)を再開します(第1期第2回)。で、タイミングよく、いきなり大原ケイさんとのトーク・セッションとなりました。「著者・出版社・読者の新しい関係を米国の事例から考察する」という表題で、大原さんからいろいろ面白そうなお話を伺いながら、皆さんと議論ができればと期待しています。ここでは、企画趣旨と「目標」をご説明しておきます。(鎌田敬白)
変化する「著者・出版社(業界)・読者」の関係
さて、私たちは出版ビジネスの再構築をテーマとして考え、まずマーケティングから入ったわけですが、これまで出版における本来の主役であるべき著者と読者と<出版業界>との溝はとても深かった(敷居が高かった)と思います。出版を商売として成り立たせているのは業界であり、出版社を中心とした業界は、著者とその仕事の成果を選んで世に出す上で絶大な力を持っていました。読者はこの業界が提供するものを(たんなる印刷物とは別格の)出版物として有難く受け取るしかなかったと思います。いわゆるゲートキーパーです。
しかし、デジタル化は「活字印刷物」に掛かる費用と、それによって生まれる有難味を大きく減らしてしまいました。そのデフレの流れはワープロやDTPによって始まり、インターネットで止めをさされた観があります。E-Bookはその仕上げというわけです。デジタル化がさも大事業であるかのように見せようという業界の努力は、自炊や自動変換によって徒労に終わりました。形の上では誰でも「出版」でき、誰でも宣伝し販売する手段を持っています。代金の回収に業界を通す必要はなく、印刷代の実費を読者に負担してもらうこともできます。
こうした傾向をいち早くつかんで<著者と読者の間にあるすべての存在は中間的なもの>と喝破したのがアマゾンでした。アマゾンは言葉通り、生き残りをかけてすべての中間的存在の(著者と読者にとっての)サービス価値と競争力を厳しく検証し、自らのビジネスモデルの中で査定しています。これは業界のアウトサイダーに徹したからこそ可能なことです。これまでの閉じたエコシステムは無力を曝け出しました。それによって、米国では著者と読者も、アマゾンの情報をもとに自立的に行動し始めているかに見えます。(右は著者向けマーケティング・チュートリアルの一例。Book Marketing Alliance)
「世に出すべきもの」「読むべきもの」を評価し、決定し、保証する社会的機能が伝統的出版業界の「専権」から離れたことは重要です。市場の秩序は崩れ、社会は「確かな」尺度を失いつつあります。MillenniumからHungers gameを経てFifty Shades of Grayに至るベストセラーの傾向は、そうしたことの反映のように思えます。これをダイナミックな時代と見るか、出版の退廃と創造性の終焉の時代と見るかは立場によって様々でしょうが。変化というものはそういうものです。本の量産と高速流通が始まった19世紀はまさに両面を持っていました。紙に依存しないデジタルはその延長上にあります。
われわれはこの変化に狂喜したり悲嘆したりすることなく、変化を構造的に分析し、課題を整理しながら出版の再構築に取組んでいきたいと思います。しかしこの問題はこれまでもっぱら業界の視点から語られてきたように思います。<中間的存在>となり、存在意義が問い直されている業界を当然の前提として考えるのはおかしなことです。むしろ出版において不可欠な存在(でありながら、その他大勢の扱いを受けてきた)著者と読者から始めないといけないでしょう。そこで大原さんのご参加を仰ぎ、今回は著者の視点から考えていきたいと思います。
「著者」とは誰か?
主役とおだてられながら、実際には「業界」の外の存在とされてきた著者は、じつに多種多様、種々雑多の存在です。作家、経営者、学者からアイドルまで、有名無名。この世の人も、あの世の人もいます。博覧強記・文章の達人もいれば、長い文章を書いたことがない人まで、出版社は様々な「著者」を相手にして「商品」に出来そうな素材を引き出し、仮想的読者をターゲットに「コンテンツ」をこしらえ、商品として流していきます。出版社にとって著者とは、具体的には次に出す本の書き手であって、それ以上のものではないのかもしれません。それに、よほどの例外的存在を除けば、出版社には個々の著者のために活動する経済的・精神的余裕はないでしょう。編集者が著者を「育てた」といった美談は、現代ではあまりリアリティはありません。
著者は、何らかの形で「社会」との間でコミュニケーションを取る意欲と言語(表現)能力を持っている存在です。彼らはその創作・著述を通じて社会に知られたいと考えているはずです。そしてかなりの人が、それによる経済的対価を期待しています。生涯に一冊か二冊しか書かない人もいれば、数十冊を超える人もいますが、多くの人は出版を、生涯を通じての社会的活動(の一部)であると考えています。著者(著述活動)を続けたいと考えている人も、またそれに期待する読者も少なくないでしょう。そう考えると、新刊の流れを中心に高速で動く現在の出版ビジネスは著者にとって最適とは言えません。とくに日本では刊行直前に著店に知らされ、1ヵ月で事実上商品としての運命が決まってしまう慌しさで、マーケティングどころではありません。しかし、不満があっても文句を言う著者はあまりいませんでした。原稿を本に仕上げて印刷代を負担し、本屋に出して印税を払ってくれることで満足するしかなかったからです。
出版の敷居が急速に下がった現在、米国の著者たちは出版の各プロセスを自分でいかようにも体験できるようになりました。出版社を介さないでデビューしたベストセラー作家は、すでにめずらしくはありません。とくにマーケティングとセールスへの意識が高まり、SNSからWebアナリティクスのような新しいメディア、可視化手段の活用が活発化しています。出版社もそうした動きに遅れないようマーケティング活動を強化しています。売れないのは著者の責任(あるいは運命)と納得してくれる著者は相対的に減っていくでしょう。出版物の点数は(デジタル復刊によるバックリストの必然的増加によっても)激増を続けますから、個々の書籍はますます売りにくくなっています。自分の本をマーケティング/プロモーションできない著者は、出版社からも見放されるとさえ言う著者さえいます。これもデジタル化によって変化したことの一端です。(→次ページに続く)