2. 漢籍における注釈のメソドロジー
注釈というもの
漢代から 儒学の経典の注(註とも)をつける=字句の解釈、訓詁学が発達していた。唐代になると、この注にさらに注をつける疏(そ、ショともいう)が登場する。
→下右:「儀礼」に対する後漢・鄭玄(じょうげん)の註。『儀礼鄭注』。さらに江戸時代の漢学者・皆川淇園(きえん)と思われる詳細な書入がある。
下左:『論語注疏』三国時代の魏の何晏(かあん)の註(集解=しっかい)に宋の邢昺(けいへい)が註をつけた。
清朝まで中国の学問は、この考証学=訓詁と校勘が主であった。日本でも早く『日本書紀』の校読が行われ、その注記した『日本紀ぎ私記』が平安時代の初めにできた。それ以来、中世までの学問といえば、注釈をすることだった。それは「現代語訳」の役割も果たす。このような注釈本を「抄(しょう)」といった。抄は抜き書き、手書きのことだが室町期にはカタカナ交じりの注釈本をカナ抄と呼ぶようになった。当時の講義口調がわかる資料にもなる。中世は、書き入れで対応してきたが、江戸時代に入ると、注釈ごと印刷する。
中国では失われた唐代の小説『遊仙窟』の江戸初期の翻刻版(和刻本)(左)とそのカナ抄。元禄3 年=1690 年刊『遊仙窟抄』。本文にも振り仮名がつく(右)。
点・句読点
漢文も平安の物語も本来は、句読点すらない。段落もないことが多い。早くから経典に区切りや息継ぎがわかるように点を入れる(加点、科点)のをはじめ、しだいに漢文を読むための訓点や振りガナをつけはじめる。句点と読点を区別しないなど、現代とは異なった方法で、決まりがあるようでないのだが、江戸時代の版本にはほとんど入るようになる。
訓点
初期の漢文の訓点はがヲコト点(下図右『衛生秘要抄』正応元年(1288)成・延文6年(1361)本奥書本のヲコト点)。その方法は家ごとに秘伝とされ(下図左)、標準的ではなかった。現在の一二点レ点などを使う方法は室町時代の後半から。
右図は西鶴の『日本永代蔵』の巻頭。総ルビで、[。]だけが区切りに入れてある。現代の基本的な活字翻刻本は、この版本の点を無視して、現代風の句読点に付け替えてしまっているものが多い。
書入のルール
和本の世界では書き込みといわず、書き入れといって、これがあるのはむしろプラスと考える。もともと、和本は頭の部分を少々広くとってあって、そこに書き入れるのである。本文(版面はんづら)を囲む罫線を匡郭きょうかくといい、その上の欄外を首とか頭と書いてかしらというが、ここに注釈などを入れるのを頭書とうしょといい、別名鼇頭ごうとうともいう。鼇というのは中国伝説上の大亀のことである(右図)。神仙の住む山を背中に乗せて大海を漂うという故事からきている。その鼇の上に乗った鬼を魁といい、科挙に一番で合格した者(状元)のシンボル(右下)。先の『遊仙窟抄』は角書に「鼇頭図画」とあり、この頭書部分にカナの注釈を入れ、さらに数丁ごとに挿絵が入る。
校合
そのひとつが、まず校合(きょうごう)である。文字の誤りを正すだけでなく、別の本ではここがこう書かれているという校訂を入れるのである。朱を使って、その文字の横に書き加える。誤字脱字も同様に訂正記入される。これは、いまの校正記号と同じようなものである。現在の校正の流儀は和本時代からの伝統である。
朱引
書き入れにはルールがあって、やみくもに書いているわけではない。訓点が標準化された室町時代、漢文の固有名を区別するための書き入れ方法(朱引しゅびき)も標準化された。それが歌になっていて、
「本邦書籍朱引法歌ほうか 右所、中者人乃名、左官、中二者書乃名、左二者年号」(みぎところ、なかは人の名、ひだり官、なか二は書の名、ひだり二は年号)
といい、文字の右側に朱線を引くときは、それが所(地名)であることを示し、文字の中央に乗せて線を入れるのは人の名、左側にあれば官職名を、中央の二重線は書名を、左側の二重線は年号をあらわす。これは版本に印刷されることはない。誰が書いたか分からないことが多いのだが、書き入れが多いほど実力のある人が記入した可能性がある。
朱引が入り、さらに頭書にびっしりの注釈の書入
注釈
元の本に、書き入れをしていくのが、基本的な方法。疏のように注釈は注釈を呼ぶ。そのため、一定の選択を経て評価された注釈本は、次にはその注釈入りが「本文」となる。次の読者は、さらにそれに注釈を加える。書物は「育つ」のである。『令義解』などは古代の律令本文だけでは平安時代ですらわからなくなっていた。そのための注釈書で、江戸時代にはさらに注釈が必要になり、書き入れで対応した。中世の学問は、注釈することにあったといっても過言では無い。その担い手は公家の博士家と多くは仏家だった。恋愛物の『源氏物語』ですら僧侶が注をしている。しかし、ヲコト点と同じように家ごとの秘伝としてしまうなど閉鎖性もあった。中には『古今和歌集』の故実や解釈を秘伝としたのが「古今伝授」はよく知られる。江戸時代に入っても書き入れの手法は盛んで、ほとんどの物之本に入っているほどである。
頭書の詳細な書入が印刷された本。『鼇頭覆醤集』
発展応用型
頭書に付録をつけて、子どもたちの好奇心を呼ぶ往来物が盛んになる。本文は決まり切った教科書だが、頭書に付録をつけて板元たちがサービス合戦をした。
頭書の絵は本文と関係ない板元のサービス。『頭書絵入寿世江戸往来』
散らし書き
墨の濃淡だけで句読点の代わりができる。それをわざと利用したのが、散らし書きで、中世の「女房奉書」が知られる。漢文が基本の朝廷では、平仮名で伝奏したいときは女性に託する。
成長する書物
本は発行された時点で終わりではない。伝存される過程、そこで行われる書き入れなどの加工を通して成長する。その時間軸までみないと、和本を語ったことにならない。こうして少ない書物だからこそ大切に保管し、未来の世代に残していく観念が強かった。現代のように大量に生産される書物は、実は大半が廃棄処分されている。個人の蔵書はほとんど一世代で終わってしまう。古書で扱われるのは、新刊で出た本の十分の一、いやそれ以下であろう。まして書き込みがあったら敬遠される。そこから「本を大切に」、「活字文化を残しましょう」というお題目だけを掲げても効果はないだろう。本質的な本の意味を考えてほしい。(完)