「著作隣接権」を出版に適用する動きについて、そろそろ外国人に説明する必要が出てきたのだが、もちろん一筋縄でいく問題ではない。そこで様々な角度から論点を整理してみようということで書き始めたのが、このノート。筆者なりの結論は最後に述べたいと思うが、この種の権利を論ずる場合には、(1)国際性、普遍性、(2)技術的合理性、(3)著作権との整合性、(4)実効性(コスト/効果)、(5)ステークホルダーのコンセンサス、で評価すべきだと考えている。(鎌田)
権利とは何か:力と正義
【権利】 (イ)一定の利益を主張し、また、これを享受する手段として、法律が一定の資格を有する者に賦与する力。(ロ)或る事をする、またはしないことが出来る能力・自由
【利権】 利益を占有する権利。業者が公的機関などと結託して得る権益(『広辞苑』)
原著作者(creator)に排他的権利を与えるという著作権については、多くの誤解が行き渡っているから、日本語ですらコミュニケーションは簡単ではない。またもともと、「××権」という無数の日本語には、重大なカテゴリー・エラー(錯誤)を起こす概念が混在しており、使用にあたってはよくよく注意しなければならない。例えば「主権」「司法権」「販売権」「人権」「参政権」そして「著作権」…。
混乱は力(power)に関わる概念と、権利(right) ―正義や道理に由来する― に関わる概念が差別なく「権」で括られていることから生じる。「国語」辞書も、法律が賦与すれば権利(right)が生じると言い、また利権を権利の一種としている。これは錯覚を起こしやすいどころか、欧米人から見ればそれ自体が倒錯だ。それでいて「結託して得る権益」を「利権」として区別し(た気になっ)ていることが、よけい話を混乱させる。「結託」できない者の道徳的非難(あるいはやっかみ)を含む場合だ。たいていはそうだろう。
英語において、利権としての権利(というのも妙だが)は、concession (→交渉)、royalty (→対価)、economic interest (→経済性)、grant (→交付金)など、コンテクストによって使い分けられているが、それら自体に否定的な意味はない。知的所有権 (intellectual property rights)に付随する利権は、もちろんロイヤルティである。“三省デジ懇”や“緊デジ”などで派生した交付金はグラントで、なんらかの経済的波及効果が期待されたという意味ではインタレストだろう。ところが「利権」と言えば自動的に批難する側に立つ(と見做される)ことになる。困ったものだ。価値判断はともかく、利権は利権なのに。欧米的法概念に反して、権利を価値中立的概念にして、逆に利権に否定的意味を込めたために、利権に悪いイメージが集中することになったのだ。順序を逆にしただけでこれだけ響きが違う熟語もめずらしい。
権利にの文化と利権の文化
近代日本語の最大の問題の一つが、正義に由来するright (droit, Rechts) の訳語として使われている「権利」という言葉だった(翻訳は西 周)。この訳語は、元の漢語の意味(権勢と利益=荀子)が染み出してしまう危険を孕んでいた。福沢諭吉や加藤弘之以来の知識人が指摘し続けたことだ。一歩も進んでいないどころか、第二次大戦後の欧米的「権利」の法制化によってさらに混乱の度を増した。rightsのほうは、「民権論争」の繰り返しである。しかし、“官民一体”で開発・更新される利権のほうだけはどんどん複雑化・高度化している。同じように漢語の元の意味を変えて流通させようとした明治日本語に、liberty に対応する「自由」がある。これも悪無限的な混乱の原因となっている。表意文字はこわい。
上述したように、利権はそれ自体善でも悪でもない(コンテクストによって善でも悪でもあり得る)。誰でも「利益を占有」したい願望を持っているからだ。そして日本は(欧米に比べて)利権を積極的に是認し、権力が公認することで正統性を与えてきた長い伝統を持っている。「株仲間」と呼ばれるものだ。
株仲間には権力者の「御用」を果たす「御免株」を持った仲間と、権力の承認を意味する「願株」を得た仲間があった、と教科書には書いてある。本屋仲間はもちろん後者である。地域、商品、役割(手工業者、問屋、小売)ごとに、仲間がつくられ、かなり複雑・精緻な分散・協調型エコシステムが形成されていた。それぞれはかなり自律的な「世間」をなしており、それを超える問題について、時に「お上」のご裁断を仰ぐ、という慣習は、中世末期以来の日本の経済・社会システムの常態ではなかったかと思われる。このシステムは、とても根が深く、明治維新はおろか、戦後改革をも形を変えて生き延びた。いわゆる日本的流通システムである。日本ではこの近世の遺産が20世紀後半まで維持された。
しかし何事にも終わりはある。和本の本屋仲間の消滅と同時期に生まれた活字出版業界は、これまで「再販」と「取次」を軸に結集してよそ者の侵入から防衛してきたのだが、逆にこれらによって自らの首を絞める状態から脱出できずに緩慢な衰弱を迎えつつある。「日本語フォーマット」や「書籍電子化事業」で政府から「利権」を引き出したものの、これらが業界の明日につながるものと考える人はいるだろうか。現在浮上してきた「著作隣接権」は、電子化に対する活字出版業界の第三の(おそらく最後の)組織的抵抗であるように思われる。(→次ページに続く)