米国で発達したself publishingのソリューションは、出版プロセスをほぼ以下のように定義している。それに基づいて設計され、実装されたシステムが動いて著者出版を可能にしているわけだ。基本的に出版ビジネスに関連したすべてのプロセスを、様々な品質レベルでカバーしている。中小出版社(日本では大手出版社)ですら持っていない部門、機能を含んでいる。(右のロゴは米国の「セルフ」サービスのもの。この数倍が存在している。)
執筆:クラウドソーシング、編集・添削、レビュー
制作:ファイル変換、表紙デザイン、レイアウト、印刷、配本
販促:マーケティング支援、サンプル配布、DM、SNS、Web、SEO…
管理:決済、販売管理、支払
品質はまちまちで、融通が利かず、手作業が必要なこともある。重要なことは以下の4点だ。
- 低価格で、サービスモデルも多様である
- 競争がある限り、品質と価格はユーザーの有利に進化する
- 著者/発注者に知識と技能はあれば役に立つが、不可欠ではない
- すべてWeb上で完結する(あるいはその方向に)進化している
サービスはWeb上で提供され、発注者は各工程をコントロールできる。基本的にはデジタル・ファーストだが、紙を同時に出しても先に出してもよいし、紙のほうはオンデマンド印刷でなく、オフセット印刷と上製本で作ってもいい。オンライン・エディターを使ってもいいし、使わなくてもいい。面倒な表組や注釈の処理を外部に依頼してもいい。自動変換が信用できなければ、専用のものを開発してもいい。InDesignを大事に使ってもいい。重要なことは、この環境が「サービス指向アーキテクチャ」で構築されている「オープンシステム」だということだ。販売すら、アマゾンやKoboを使わずに、個人/自社サイト、自社アプリでやってもいい。
「セルフパブリッシング」は出版と融合する
ビジネスとしての出版プロセスのすべてをサポートするサービスは、日本にはまだ存在していない。基本的には、出版・印刷・取次・小売の4業界の分業のもとで、誰も出版プロセスの全体を統合する存在がいないためだが、「電子化」でゴタついたツケで数年を空費したせいでもある。しかし、現在はファイル変換程度でも、販売への道筋が出来た以上、その間を埋めるサービスが登場し、あるいはグローバルなサービスが参入することは明らかだ。
書物による表現意欲がある米国の「セルフ」たちは、ブログとSNSとモバイル環境を得たことで読者とのネットワーキングを活発化させた。旧メディア業界の人には不愉快なことかもしれないが、Webの世界では、このソーシャルなネットワーキングが、回りまわって最終的にマネタイズされる。そのメカニズムをビジネスモデルと呼ぶ。Kindleを立ち上げたアマゾンは、躊躇なく、そして惜しげもなく、彼らへの最大の支援となる、商業的出版環境、つまり消費者へのアクセスと決済のプラットフォームを開放し優遇した。出版はカネにならないと再生産できないので、アマゾンのKDPは、self publishingを成立させた画期的なプログラムということになる。無数のself publishingサービスが生まれたのは、やはりアマゾンがビジネスモデルを完結させたからである。ここで大手出版社と一般参加者のスタートラインが共通化された。(図は天国の鍵を持つ製ペテロ)
サービスも、無償の助けもWebを介して得られる。ネットで得られないものがあるとすれば、それはセルフ、つまり出版者としての自我(エゴ)ということになる。他人ではない、自ら出版したいという意思があれば、何とかなる時代になった。意思とは無関係にジョブとして働いてきた人には厳しい時代となった。自主出版という訳語をつくった所以である。遠からず、この限定は外れるだろう。出版社も著者=出版者も、そして企業=出版者も同じデジタル(=Web)出版プロセスを、それぞれの方法で使っていくことになる。
さて日本で「セルフパブリッシング」に「出版」を使わないのはなぜか。職業的ゲートキーパー(出版社と取次)としての「正規」ルートを通さないものを出版と考えたくない、あるいは区別したい出版・メディア関係者の空気が投影(あるいは配慮)されているのではないか、と筆者は邪推している。パブリッシングは出版に非ず、という屁理屈だ。最初は手垢のついた「自費出版」で片づけたかったが、誰が見ても費用負担の話ではないし、費用などゼロでもできることが知られた以上、無意味だ。「自己」出版は高尚でもったいない。「自分」出版では訳が分からないし、褒めたようにも聞こえる。カタカナが無難…。
筆者が「自主」を使ったのは、これが出版の出発点で、本質だからでもある。文庫本の巻末に、岩波茂雄や角川源義など、過去の偉大な出版人たちの発刊の辞を読むことが出来るが、いずれも言葉に力があり、心を打つものがある。「自主」の心はそこにある。出版が自主を取り戻せば、「セルフパブリッシング」も「自主出版」も消えるだろう。 (完) 2013-04-28