さきに『ぼくらの時代の本』を上梓されたクレイグ・モド氏にインタビューさせていただく機会を得た。話の中身をご紹介する前に、この多面的な魅力を持つ「本とその出版」を筆者がどう読んだかを先に述べておくべきだと考えた。本はつくられ、出版され、のちのち読まれることで意味を持ち続ける。この転換期に、日本でこういう本が出たことをよろこびたい。
紙の本には歴史があり、代替不可能な価値がある。なくなることはない。それは分かっている。しかしまともな本も本屋も、砂時計の砂のように減っており、かつてのように出版を支えてくれない。デジタルは拡大し、主流になるのも時間の問題だ。しかし、現在のところほとんどが紙の複製にすぎず、ストアはおそろしく少ない。いや数ではなく本屋に必要な多様性がないのが退屈なのだ。退屈は本と出版の敵だ。希望を託せるエコシステムは生まれていない。私たちはこの、なんともむずかしい時代を、正気で、無関心にも軽薄にもならずに生きていかなければならない。「本」とともに。
2,000円が「格安」な理由
皆さんと同様、筆者も紙への愛着を持ちつつ、デジタルの可能性を追求している。紙の本は確実に(文化的価値とそれを支える技術とともに)継承されなければならない。E-Bookは創造的な読書環境を提供しなければならない。過渡期に生きる出版人の使命だが、それがとりわけむずかしいのは、もちろん前者では惰性に縛られて身動きが取れず、後者には経験がないからだ。筆者が「電子出版」を考え始めて25年以上になるが、どこまで進んだのか、どこに向かっているのか見えなくなることも少なくない。限界を超えて解決を見つけるのは若い世代のクリエイターに期待したい気持ちは強い。クレイグ・モドさんの『ぼくらの時代の本』は、年の暮に現れた曙光とも思えるものだった。
造本がしぶい。一見するとふつうのペーパーバックだが、いまどきめずらしい、完全な「単行」本で、クラフトワークを感じさせる。装幀、紙質、インク、文字組、デザイン、図版に神経が行き届いている。タイトルと背文字が箔押しなのには驚いた。ブックデザイナーである著者のセンスと制作チームのていねいな仕事、とくに印刷・製本のスキルの高さは、特筆されるべきだ。愛書家が蔵書とし、あるいは図書館で貸出され、末永く<この時代の本>を考える人々に伝える価値があると思う。書き込みするには気が引ける。これで2,000円とは。ふつうの出版社ならほぼ絶対に通らない企画だ。版元は紙とは遠いはずのボイジャー。
著者は「紙に印刷する本は、制作工程に最大限の力を注ぎこまなければいけない。」と強調している。だからこそ、出版でそのことを実証しなければならなかったのだろう。「最大限の力」とはこんなものかと揶揄されないために、そして「コンテンツと物理的形態が結びついて、内容をより輝かせる」ことを示すために。筆者は本づくりには数回しか関わったことはないが、覚悟とそれが意味することはよく分かる。自ら高いハードルを課したボイジャーの判断も軽いものではなかったろう。
本書はデジタル版もあるが印刷版の購入者にプレゼントされる。「コンテンツ」はすでに公開されてきたエッセイでオリジナルではない。しかし、紙として出版されたものは、編集/デザインと特別な本づくりによって断然別の付加価値を持つ。それを実感してもらおうという大胆・贅沢な趣向だ。出版プロジェクトとしての価値が、データ化可能なメッセージの伝達ではなく、ものを通してしか伝え得ない「紙の本づくり」にあることを語っている。デジタル版はブラウザのUI/UXによっていくらでも進化できるが、モノとしての本はこれが決定版となるだろう。その意味でも2,000円は安い。これは2014年12月に日本の出版が(前向きに)何が出来たかの記録だ。
変化する時代の年代記
内容も凝った本づくりに相応しい。本書は2010-12年に著者のブログに書かれたものがベースになっている。この時期は、KindleとiPadが揃ったE-Bookの形成期にあたり、米国では市場が急速に拡大し、様々なスタートアップが生まれ、誰にでも機会が開かれたことで自主出版が現実的な選択肢となった。しかし、あらゆる可能性が開かれた半面で、アマゾンの独占が完成されたことで業界のフラストレーションが高まり、また本の「進化」は期待したほどでなかった。要約すれば簡単だが、この期間に米国で起きたことは、その後の展開で意味を持つ要素・課題がすべて揃っており、そこでの経験は最も興味深いものであった。内容面における本書の第一の価値は、短いが凝縮された歴史上の一時期の「年代記」となっていることだ。
年代記とは、目撃者の時間的・空間的パースペクティブに捉えられた同時代の「報告」であり、出来事の簡潔な叙述でありながら、著者の時代認識が反映される特徴を持つ。2003~09年の6年間にわたって紙の本のデザインに携わったクレイグさんは、紙の全盛時代の最後の数年間ということになるが、これはとても貴重な経験で、十分に意識されている。冒頭に述べた本の過去・現在・未来に関する本質問題は<形のないもの←→形のあるもの>として正確に捉えられ、ブックデザイナーとしてのテーマとなっている。本書も回答の一部だ。
2010-2012年のブログで提起された問題は、すべて現在でも有効だ。とりわけE-Bookについてはマクロな状況はほとんど変わっていない(例えば表紙、E-Reader、電子雑誌、自主出版…)ので、彼が実践し、提案してきた方向性は二重の価値がある。2010年から E-Book2.0 Magazine で同時代をウォッチしてきた筆者も多くのヒントを得た。短く、読みやすいものなので、ぜひ一読をお薦めしたい。
本としての全体性=固有の形の発見と実現
<形のないもの←→形のあるもの>という分類は、本づくりを考える際、とくに有用だと思う。それは対象となるテキスト/コンテンツの性質に関わるもので、紙かデジタルかということと同じではない。「形」は物理的形態をとるか否かに関係なく、テキストの扱い、要素の集合であるコンテンツと視覚構造との対応にのみ関係しているからだ。形のないものは任意の型の中に流し込むことが出来るが、形のあるものは厳密に「ページ/画面」空間に視覚化される必要がある。紙の本で形が適切に扱えるとは限らないが、形に無頓着なデジタルは出版物としての価値がない。
重要なことは、形は著者が記述の前提としている場合(木構造、表構造など)もあるが、そのように明示的でないものもあり、著者も見え(意識し)ていない構造もあることだ。編集者やデザイナーは、主に読者の立場から、そうした構造を読み解き、発見し、必要な視覚化を行う必要がある。予め答があるわけではなく、著者と編集者・デザイナーの緊密なコミュニケーションが不可欠となる。しかし、現実の商業出版ではそんな時間はとってもらえない。
本書を例にとるなら、オリジナルのブログ(HTML)はハイパーリンク付テキストで、形式的にはエッセイでありながら内容には「形」がある。それは大状況としての「デジタル化と出版」と著者個人のクリエイティブな実践が、新旧の「メディア」の現場(それにはKickstarterから東京の印刷・製本会社まで含む)で交錯しているさまが捉えられているからだ。編集者として見るなら、このテキストの出版は大きなチャレンジだ。
これを例えば、単純な章別構成で新書スタイルにしたのでは、形はテキストに埋もれてしまい、熟読玩味しないと見えてこない。著者の意図が的確に実現できず、メッセージ内容も不明瞭になる。印刷版の本書は、テキストの持つ形=コンテクストを視覚化し、註や図版など効果的な補助的情報を補ったものに再構成ずることで「明確な形」を与えている。それによって、部分の総和ではない「全体」が現れてくるのだ。そしてこの全体は孤立してあるわけではなく、先行し、共存している出版物や、それらを中心とした知識情報空間、記憶空間の中にある。
どんなものでも「本」となり、「出版」となるデジタルの世界では、内容に相応しい形を与えてはじめて出版としてのオリジナリティを主張できる。筆者にとって、とりわけ本書の歴史的価値を高めていると思えるのが第6章にある、東京の片隅にある印刷所、製本所の描写だ。
「80歳とおぼしき男が、タバコをくわえ肌着姿で立っている。僕が手を振ってあいさつをすると微笑みが返ってくる。男はだるそうに複雑な印刷機のダイヤルやレバーを操作している。」(本書より)
著者がその仕事を賞賛してやまない日本の職人の、忘れ得ぬ面影を写しているが、明治10年ごろの江戸の版木職人もこうだったかもしれない。10年後には彼らの現場と仕事はどうなっているだろうか。本書もそうした誇るべき現場技術でつくられた。2014年の東京で。テキストに内在する形を実現するには、知識と知恵と技能を必要とする。とくにモノに表現された人間の技能の結晶は時代を超えて残る。工芸品のように。しかし人によって継承されなければ再現できない。
まとまらないが、この辺でまとめよう。定まった形のないもの(小説など)は真っ先にデジタル化され、英語圏では今日のE-Bookの主流になっている。マンガなど、もともと視覚的な形のあるものもデジタル化され、日本では唯一の成長分野になった。見えるものはそのまま、あるいはそれなりにデジタル化できる。見えないものはつねに難しい。2010年の著者が本の未来を託したiPadは、その環境の閉鎖性ゆえに、いまだに可能性を示すにとどまり、市場での主流であるKindleは(マーケティングでのイノベーションとは逆に)いまだに最も保守的な読書体験しかサポートしていない。いつどうなるかはともかく、課題は明確だ。しかし答は一つではない。だからおもしろい。◆ (鎌田、02/04/2015)
書 名:ぼくらの時代の本
著 者:クレイグ・モド
訳 者:樋口武志/大原ケイ
発行元:株式会社ボイジャー
価 格:印刷版 2,000円+税 電子版 900円+税
発売日:2014年12月15日