「サービス」の説明をとばしてプロジェクト/プロセスの話をしたいと思ったが、出版におけるサービスの性格はとても複雑で、しかもデジタルによってサービスが変容したことが出版の変化をもたらしているので、そこの理解が共有できないとプロジェクトが重要といったところで具体論には進めない。そこでしばし寄り道するのをお許しいただきたい。
出版のエコシステムとデジタル化:個別から連携へ
出版は、企画・執筆・編集・制作・流通・販売など、複合的なサービスによって成立っている。印刷・製本を除き、それらのサービスは出版に特化している場合が多い。事業の主宰・管理は、企業形態をとった出版社が行うが、性質の違う作業をすべて内部で行うことは実際的でないので、かなりの部分はサービスのエコシステムによって担われる。エコシステムはコアとなる技術基盤に即して構成され、木版印刷や活字印刷には、それぞれ最適化されたエコシステムがあった。どちらの場合も、文字の扱いが鍵になったのは言うまでもない。
出版社(名義的には発行人)は、個々のタイトルの「出版コンセプト」を実現するために必要なサービスを動員し、本として実体化し、流通させることで出版の目的を完結させる。サービス提供者との関係はインタラクティブであり、緊密に連携している。大なり小なり、それぞれが「出版」の成功にコミットしていると考えてよい。しかし、米国では大出版社と大手書店が価格交渉で対立する関係なのに対して、日本では出版社とエコシステム、あるいはエコシステム内部の相互依存性が非常に強いという違いがある。
上述したようなエコシステムは、デジタルの浸透とともに空洞化してきたのだが、米国と日本では違う様相を呈した。米国では巨大化する書店チェーン(B&N、Borders…)に対して出版社がメディアグループ傘下に入ることで対抗したが、流通を制したのはオンラインに最適なビジネスモデルを構築したアマゾンだった。日本では相互依存性が強すぎて制度疲労とエコシステムの衰弱が進み、周回遅れの大型店化も勝者を生むことなく、縮小する市場の中で最大シェアを得たのはアマゾンだった。つまり、結果は米日ともに同じ。オンラインの勝利。
アマゾンは書店までで止まっていたデジタルを消費者/読者にまでつなげたのだが、それはデジタル出版革命の最終章を始めたことを意味した。1970年代に始まった出版のデジタル化は、文字組版、ページ製版や在庫管理、書店のPOSなど、サプライチェーン上のサービスの基幹業務を一つ一つコンピュータ処理に置換えていき、インターネットが普及した1990年代からは、それらを連携・統合する段階に入った。そこで印刷出版という閉じた世界がインターネットに接触したことの意味は、いまさら言うまでもないだろう。それによって、例えば、文字組版と画像処理をページ製版に統合していたDTPは、さらにWebサイトという新しい動的メディアと結びつく。
インターネットは著者と読者までエコシステムに引き入れた
インターネットは、個々の業務やサービス、組織、業界に結びついていたそれまでのデジタルの限界を超え、すべてのメディアとサービスを連携させ、それによる経済社会システムの構造的再編を必然化した。出版は知識コミュニケーションに関わるが故に、エコシステムの変化はとくに緩慢だったのだが、消費者/読者という終端が統合されたことで、再編が一気に進むことになったのだ。「著者と読者の間にあるすべての存在は中間的である」というジェフ・ベゾス氏のテーゼは、非常に深い意味を持っている。というのは、じつは著者と読者は伝統的出版のエコシステムの外にあり、前者は(一部に「有名人」ではいても全体としては無数の)素材供給者の一人として、後者は無名の消費者として、ともに「不定」な存在であったからである。
両端が「無名」でなくなることで、活字コミュニケーションに特化したサプライチェーンとしての出版エコシステムは解体を始める。出版がコミュニケーションである限り、両端を特定するほうが圧倒的に有利であることは言うまでもない。伝統的出版社は、本の創造的価値を強調し過ぎることで自らを窮地に追い込んだ。なぜなら、本(対象)と出版(行為)はイコールではなく、出版社の大部分はそうした価値をもっぱら扱っているわけでもないからだ。著者はいざ知らず、出版社は消費者/読者を知らなくては務まらない時代になったことを認めなくては話にならない。
KindleとKDPサービスを立ち上げたアマゾンは、消費者に加えて「著者」をサービスのクライアント(ユーザー)とする立場を表明した。著者に対して、出版の主宰者である出版社を経ずに出版するショートカット(産直)が選択可能になったことを告げたのである。新興のKindleエコシステムにおいてDIY出版、インディーズ出版が急成長したのは当然だろう。出版社にアクセスするより消費者にアクセスするほうが容易だ。それ以上に重大なことは、出版に動機とニーズを持つ者なら、誰でも(最低限のリスクで)出版が出来る時代が到来したということだ。さしあたって、出版に動機があるのは著者やクリエイターたちだが、彼らを「サービス」として利用することでコンテンツを得ることが出来る。出版社のように。
自主出版の意味は、誰でも著者になれることよりも。誰でも出版者になれるということだ。デジタルのサプライチェーンにおいては、伝統的出版ビジネスのエコシステムの外にあった著者と消費者は、直接当事者として重要な役割を果たす。アマゾンの巧みなところは、著者が著者であるのは消費者/読者が認める限りにおいてであり、そのためのサービスが新しいサプライチェーンの要(隅石)であることを知っていたことだ。サプライチェーンをオセロゲームとすれば、序盤で隅石を確保したことになる。マーケティングにおける戦略的優位を得たことで、アマゾンは自ら出版に進出した。これはコンテンツの価値を最大化する21世紀の出版を工学的手法で開拓している。
ここでサービスについての考察をまとめておこう。
- 紙が前提ではなくなったことで、サービスの組合せは、流動化した。
- 出版目的や出版者の環境によってサービスは選択される
- 著者と読者がエコシステムに参加し、主要な役割を果たす。
従来との違いは、デジタルによってサプライチェーンが継起的で一回性のものから円環的で反復的なものに変わったということだと思う。誰でも出版のサプライチェーンの主宰者になれる。それどころか、個別のサービス主体にはそれぞれ主宰者となる必要が生じる。アマゾンは先に動いたが、サービス企業は誰もが同じ行動をとるだろう。 つづく ◆ (鎌田、05/25/2015)
[…] 2. サービスのデジタル化の進展 出版のエコシステムとデジタル化:個別から連携へ インターネットは著者と読者までエコシステムに引き入れた […]