デジタル(=サービス化)によって出版のエコシステムは一変しようとしている。出版に限ったことではないが、この転換には非常な痛みが伴う。出版における伝統的な仕事の価値観に多少とも浸し、そして様々な分野でのサービス化の現場を目にしてきた身としてはつらいものがあるが、出版を未来につなげていくために可能なことを考えるしかない。
サービス化によって出版が直面する2つのリスク
前回述べたように、読者が当事者になることで、出版は一回性のものから反復的なものへと変化した。この追跡可能なプロセスをどのように利用するか、21世紀の出版ビジネスはそこから出発している。米国において、この古い産業がテクノロジーや資金、人材を集めているのはそのためだ。マスメディアより書籍のほうが魅力があるのは、前者が設備に依存し、1対nの単純なコミュニケーションしか実現しないのに対し、後者はn対nのコンテクストを含むためだ。この可能性が、出版に巨大な可能性を与えていると同時に、リスクをも孕んでいる。
第1に、活字以前を含めた過去の出版・読書空間・知識空間の継承と再構築に失敗する可能性。
第2に、出版・コンテンツのサービス化によって、もっぱら何かの手段に堕してしまい、出版が自立性=社会性を失う可能性。
出版のサービス化は現実であり、それによって大きな商業的利益が生まれるだろう。しかし、これらのリスクをコントロール出来なければ、未来の出版は最高の社会的価値である自立性・自律性を損うかもしれない。それがどうなるかは、プロフェッショナルとしての出版人の意思と能力に関わっている。
逆説的だが、これまで書籍出版というものの知的権威は、活字を扱い、版をつくり、出版し、販売するという行為の専門性、非効率性、非経済性(つまり「もの好き」性?)に依っていた部分が大きいと思う。後の世にも残る可能性は他の商品に比べても大きい。残れば誇りにも恥にもなるから、そう悪いことは出来ない。今後はそうしたハードルによる自然淘汰はあまり期待できないので、出版物は「悪用」されやすくなり、出版関連サービスはそれを助長する。
もちろん、ビジネスや教育などの手段になることは出版の重要な側面だし、筆者自身そちらの経験のほうが長い。しかし、出版が情報サービス一般に解消できないところは、所与を超えた価値・真理・当為の世界と接点を持っているところで、そこがこのビジネスを特殊なものとしている。近代社会が出版から生まれたと言われる所以だ。
出版の価値の継承
近代の遺産は継承すべきだ、と筆者は考えている。形骸化しているという人もいるだろう。その通りだ。出版の独立性は、かなりの部分、出版社に依る出版人によって保たれていたのだが、過去40年あまりで出版の市場化(本の商品化)が加速し、均衡を失ってかつての文化性は薄れた。名誉ある大出版人の名を冠した企業は、すべて巨大メディアグループの傘下で高い利益率の達成を課される存在だ。数百もの個性と歴史のある出版社がブランド「編集部」として使われている現状では、出版の独立性など空疎に響く。明らかに近代の遺産は危機にあり、それとともに出版に対して社会が抱いていた敬意が希薄化した。それは大出版社が招いたことで、アマゾンが本の安売りをやったせいではない。
ここで蛇足ながら、これまでのサービス化の流れを確認しておきたい。出版のサービス化はメディアグループのグローバルな出版支配の下で進んだ。グループは年10%以上の売上高利益率を目標にしており、その達成のためにサービス機能を総動員している。1970年代までには優れた文学やノン・フィクションを世に出した出版社も、明らかにベストセラー至上主義に傾斜している。しかし、当然のことながら、メディアグループによるサービス化は、旧来のメディアの秩序を維持しつつ進めるものだったので、その外(インターネット)で進行していたメディア=サービス革命には対応できなかった。
出版のサービス化を最終的に促したのはアマゾンである。アマゾンのサービス化は消費者から出発し、サービス指向という21世紀型のIT技術体系(SOA)を全面的に採用していた。サービスの統合・連携にはフォーカスが不可欠だが、シンプルなビジネスモデルから出発した新興企業のアマゾンには、フォーカスで混乱することはなく、伝統的大企業に比べて大きなアドバンテージとなった。筆者はITの世界にいたので、21世紀の初めに利用可能になったテクノロジーを伝統的企業が利用するのがいかに難しかったかが実感として理解できる。大企業にとってビジネスのベクトルを合わせるよりは、ゼロから起業したほうが遥かに容易だ。巨大メディア企業あるいはメディアを掌中にしたデバイス企業のソニーなどは、結局シナジーなどは生まなかった。
本から出発し、消費者にフォーカスすることの意味は、当時ほとんど理解・共有されなかった。マスメディアを面的に支配する中で出版のサービス化を進めるという旧メディアによるサービス化は時代遅れとなったのだが、アマゾンへの対抗戦略としてのサービス化(成長戦略の再構築)は、旧来のメディア秩序の解体を促進することになるだろう。メディアグループ以外の中小・独立系出版者は、独自の道を見つけられなければ、グループに吸収されるか、衰退に向かうだろう。プロジェクト指向出版は、こうした状況の中で、先述した筆者の2つのリスクに対する回答としたいと考えている。
サービスはシステムを最適化する活動
サービス化は普遍的現象であり、サービスの利用者と提供者の関係は相対的なもので、出版における「版元」は、著者に対するサービス業なのかもしれないし、著者から素材を仕入れる出版主体なのかもしれない。著者であれ、編集者であれ、リスクをとって出版プロジェクトの主体になる場合もあれば、サービスに徹してしっかり稼ぐこともあるだろう。それは固定したものではない可能性が強い。プロフェッショナルとして、一定水準以上の仕事が求められることは同じでも、関わり方(ビジネスモデル)は違う。
日本ではサービス産業を「農林水産業または工業のいずれにも当てはまらないもの(第3次産業)」という消極的定義を受け容れて以来、いまだサービスの社会的認知が進んでいない。「…でないもの」「他者に利益をもたらすもの」といった言葉をいくら連ねても何も分かるものではないからだ。筆者はサービス科学の定義に従い、「多分野の知識・技術の総合を通じて価値を実現する方法および活動」であると考えている。つまり「価値」を対象とし、「複数の領域間の相互作用性」をシステムとして機能させることだが、それは「常識」とは異なり、産業、社会生活、政治、司法、軍事などの「いずれにも当てはまる」ものなのだ。
21世紀はサービス科学の世紀だ。サービスはモデル化され、自律・分散・協調が可能なシステムとして構築され、運用可能となる。だとすれば、出版はそれ自身が社会(を機能させるコミュニケーション)ための「サービス」であり、出版を通じて社会的価値を実現するために複数のサービスを駆使する。それは情報に表現と形を与えるだけではない。利用可能な技術が拡大している以上、それを機能させることにもコミットせざるを得ないだろう。出版がサービス化による弊を免れるには、サービスの主体であり続ける以外にない。 つづく ◆(鎌田、06/01/2015)
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