「バーチャル」は「仮想」と日本語で言われているが、じつは専門家が予め警告するように、バーチャルは「仮想」の意味はない。「実効」とでもすべきものだ。その理由は、仮想という言葉を使うかぎり、転換期にこそ問われる「出版の本義」を見失わせるからだ。(ITでもなじみ深い言葉だが)バーチャルは「リアルとして定義され、リアルに機能する」ものであり、世界を実現する言葉以外のものではない。
「電脳=言語空間」
ものごとには「仮」というものがある。「仮面」「仮装」「仮免」いずれも「本」や「実」に対立するものとして使われる。ITの世界で、英語の ‘virtualization’ に「仮想」の字を充てたのは最悪だったと思われる。この ‘virtual’ には「仮」のような意味はなく、実質的な [本] と同等な実効性を意味するものだからだ。「仮想」と「実効」がまったく違うことは、多くの人が理解できるだろう。前者は夢で当てた万馬券。後者は税金の通知。日本で誤解されたのにはいくつもの理由がある。
- バーチャル・リアリティ(VR)、CGや高精細画像とともに入ってきた。
- ゲームや「セカンドライフ」「アヴァター」その他とともに入ってきた。
- 「魔法」のようだから。
- とにかく「空想」と映像に結びつけたかった。
- IT業界は漢字が、メディアは英語が苦手だった。
- 「バーチャライズ」は専門でもハイレベルすぎた。
- 言葉よりコンピュータのほうがかっこいいと思われている。
といったあたりだろうと思うが、困ったことに、virtualization の訳として誤用された「仮想化」は、21世紀に入った日本社会で猛威を振るっている。Webによって対象が「コンピュータ」や「クラウド」から「システム」や「ビジネス」などに拡大してるためだ。バーチャルの「仮想」化は、法律を「書類上の情報」と錯覚させる。
‘virtualization’ は、言語で厳密に(数学で)定義した「リアル」なシステムだ。哲学と言語科学的な知識が必要なことは当然の前提で、それなしでは、しろうとが最新の器具で高度な脳外科手術をやるようなことになる。
「虚擬」(シュニ)と「アーカーシャ」
中国語では「バーチャル」に「虚擬」(シュニ) という字を使う。なんと、虚構の虚に模擬試験の「擬」。虚擬銀行は怪しいものではなく、ちゃんと決済もする(上の写真は「バーチャル銀行」についての中国語の広告)。深圳市(シンセン)にある虚擬大学 (Virtual University, VU)は、1999年に設立された、33の国家級大学が参画する「大学連合」で、オンラインとオフラインにまたがって存在している。強大な「実効」を集めたバーチャルが虚構や虚栄の大学でないことは言うまでもない。
虚と実については、昔から日本でも盛んに議論されてきた。芸術論として近松門左衛門の「虚実皮膜論」は良く知られている。「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず」として、虚実の間に「芸」つまり実現・実装技術 (realization)があると説いている。これは虚実を超越した荘子の思想(大虚)だが、中国の虚はサンスクリットの「アーカーシャ」に由来するらしい。これは「虚空」「天空」「空間」で、中国仏教で導入された。もちろんただの空間ではなく、世界(言葉)の力が働く非物質的空間だ、北欧神話の「生命=知恵の泉=樹」につながると言われる。
筆者もこれまで慣用的に「仮想」の語を使ってきたが、誤解を避けるために、今後は暫定的に「バーチャル」とし、この国でも言葉がインド・ヨーロッパ語的な、「真実(世界)を実現する力」として認識されるようになったら「言語空間」とすることを提唱しよう。◆ (鎌田、02/22/2019)