[ユーザー+エクスペリエンス=UX]
「ストーリー(物語)」が創作の世界から抜け出て、ラジオやTVで放送され、日常的に共有される現象は、いまから1世紀ほど前に始まった。放送ドラマは「マスメディア」の全盛期を築き、商業出版もそれを追って大規模化した。
Web以後に起きたことは、その再現であると同時に再構築でもある。Webの銀河系は「近代」以前への回帰を伴いながら、スケールを拡大させている。違いは、この運動のエネルギーが物理的なメディア(力)ではなく「人」のコミュニケーション(体験/共有)から生まれるものであることによる。
進化ではなく螺旋的回帰:行く先はどこか
Webというコミュニケーション手段の性格(非集中的、グローバル、パーソナル、ソーシャル、ダイナミック)のために、メディア、コンテンツ、ビジネスのあり方は一変することになった。建築的で堅固に見えた世界の土台と構造は、みるみるうちに流動化を始め、「変わらないものは変化のみ」という、古代東洋の「無常」世界が現出している。無常に美を感じるのはそれぞれの自由であるが、それは事実の本質であり、まずは変化を受け止め、新しい芽に目を向けるべきだろう。出版は何度も時代の波を経験し、過去をつないできた。
Webコミュニケーションの中で顕著なのは、「近代」以前の生活やビジネスが、サイバースペースで復活していることだ。たとえばデパートやスーパーは、Web上のバザールやスーク(アマゾンや楽天をはじめとするネットショップ)に押されている。なぜなら、そこに人・モノ・情報が集まるからだ。
なぜ集まるか。そこに「イベント」があるからだ。共感を求めて「虚実の体験」が語られ(=レビュー)、多くの人が集まることで(見る人が直接には無関係でも)取引が行われるからだ。体験は物語として拡大し、時とともに大きく合流したり、転換したりする。巧みな話し手によって。異国を旅するひとは、知らない「体験」を求めてその国の伝統的な「市」を訪れる。人間は千年たっても変わらない。
近代のデパートは、都市住民を背景かつ対象に、地方の「市」を置き換えて生まれた。Webによってデパートが衰退したとすれば、結局、千年の間に「進化」していたのは物流と情報・通信手段に関係した部分だけで、人類はあまり変わっていなかったということになる。東西冷戦の終結が「歴史(進化)の終わり」と錯覚されていたころにWebが準備されていたのは、歴史の皮肉かもしれない。物理的な都市機能・都市文化と直結した「近代」は、衰退を始めたが、人類がある限り、歴史に終焉などない。
カテドラルとバザール
Webはリアルを「仮想」化することで進化する。それが体験として受け入れられれば、それは「リアル」となる。最初に仮想化されたのは「カタログ通販」だったが、今日では「デパート」や「スーパー」の体験を仮想化し、それらを十分に実体験できない農村部の膨大な人々をも吸引し、なお拡大している。そしてついに、バザールやスーク、行商など、物々交換を含む、現存する人類最古の商業施設とシステム、商人までも仮想化し、先進国の都市生活者にも「体験」生活をもたらしている。
そこには価格や商品の変化(波)があり、それが安定(うねり)を感じさせている。Webという海は、近代以前からの「市場」を招き寄せた。たとえば、現在「ストリーミング・ドラマ」のダウンロードは、中国やインドを中心に、100万の単位を超え、ついに100億の単位を超えた。投資される金額も1億ドルの単位となっている。映画やTVはストリーミングの手段であり、ビジネスも視聴率やDVDなどでは完結しない。重要なのはオーディエンスであり、共有であり、その継続と拡大のためのモデルは次々に開発されている。
映像の話ではないか、と思われるかもしれない。しかし、話は「オンライン小説」「Webコンテンツ」「紙の本」というステップを経て発展する。媒体が変わることによって、共有するオーディエンスは増え、プロットは精緻化され、エピソードも構造も固まる。映像となるころには、マーケティングはグローバルとなる。
かつてWebによってオープンソース・ソフトウェア(OSS)が拡大していた当時、これを伽藍(カテドラル)に対してバザールとして対比させた人(エリック・レイモンド)がいた。IBMやマイクロソフトなどは、賢明にもOSSの開発手法を取り入れ、従来のOSビジネス、つまり「ソフトウェア=版」のビジネスから、「ユーザー」のためのビジネス(サービス開発)に転換して生き残った。
欧米日のメディア・ビジネスは、これほどの転換を行っていないが、すでにアジアの大資本に呑み込まれる形勢にある。それは「物語」(≒ビジネス)に勢いがあるからだ。かつて「近代」は、印刷物の力で「物語」に展開し、ソフトパワーとした。それが経済・社会・政治を動かす力を持つことは、よく知られている。歴史を止めたい「ソフトパワー」の理論家は、マスメディアとともに止まってしまったようだが、Webで変化の力を得たアジアは、大道芸以来の「物語」の過去を復活させている。紙=版のビジネスモデルはここで行き止まりだ。◆ (鎌田、04/22/2019)
※記事タイトル「Xブログ:体験としての物語 (1)」を改題しました(04/23/2019)。