落語の柳家小満ん師匠(75)の 口演用『てきすと』の自費出版は、34巻を過ぎて続けられているが、師匠のインタビューが産経ニュース(01/28/2018)に掲載されていたのを見つけた。音声/文字、2つの言語を往復することの意味を理解する上で、話芸の長老の声は貴重なものだ。言語表現は文字と声が一体のものであることを実感させる。文字+オーディオが自由に使える時代に、その先を期待したい。
落語は「データ駆動」であった!?
噺家(はなしか)が、自身の芸を文字として残す習慣は珍しいことではないという。まずは「台本」だ。小満ん師匠の師匠、8代目・桂文楽は、高座での一挙手一投足、息遣いまでを台本化し、高座で違ったことを話した時には記録/修正していたという。つまり、舞台芸術での「記録係」を自ら行っていたことになる。高座特有の空気感は、体験・記録・修正、といった地道な作業から生まれたもの、「即興」の範囲は非常に少なく、演者が感じた「場」に依存すると思われる。噺家の台本は、過去の経験値の積み上げを記録しておくもので、クラシックなどの演奏家が楽譜に行う「書込み」にあたるのだろう。
小満ん師匠が話芸「てきすと」の自費出版を始めたのは2015年3月から、1冊3000円で、月1冊ペースで2年間で24巻を刊行。収録した315席分に各200字程度の解説を付け、『噺の周辺 問わず語り』(2000円)の刊行を挟んで続けられている。実務は「てきすとの会」の女性ボランティア3人が務めている。
話芸の「記録」について、記事は「もともと落語には“速記本”というものがありました」という師匠の言葉を伝えている。明治期に大量に出版された落語・講談の速記本の存在は知られており、近年には、国立国会図書館や出版デジタル機構が、デジタル化し、公開した。古くは京都の僧侶・安楽庵策伝が収録・編纂した有名な『醒睡笑』(1628)がある。◆ (鎌田、04/24/2019)
- 「落語家が話芸を活字で残す理由 柳家小満ん師匠すでに27巻をネット通販」、産経ニュース、01/28/2018
- 柳家小満ん 口演用「てきすと」