新しい10年(decade)が始まった。久しくなかった温かい「風」が吹いている動きを感じる。「ゼッタイ脱出不可能」な境遇にいたはずの人がハレて中東に現れた。「脱出ショウ」にトリックがあるように、今回の仕掛けも徐々に明らかにされるだろう。ともかく硬直した非対称の世界で、生命の「風」が吹き抜けたことは、膠着状態が溶けて、重く固い「事態」が動き出したことを意味する。
21世紀ルネッサンスへの期待
インド哲学には、物理的宇宙を構成する「元素」とは別に、火と水と風に代表される3つの動的性質(トリ・ドーシャ)に注目し、これらの相互関係から自然や人間・社会など、複雑かつ循環的に生成・安定・変化する構成体(システム)の動きを説明する原理があり、経済・社会や人間に適用している。とくにWebのフラクタルで対称的な現実を理解するには有効だと思う。この変化の原理はおそらく古代中国の易「陰陽合和して万物を生ず」に通じ、デジタルによる東洋哲学のルネッサンスを現出しているものと見られる。
<固体、流体、気体><安定/流動/風>は、エネルギーの状態だが、「次」の状態に(無段階/段階的に)「相」が移行/変化する。つまり「無常」である。コンピュータが普及した今日、この「ドーシャ」が注目されるのは、性質・状態・変化を量で計算可能にすることで、常識や神秘性によらず、合理的な思考が可能になったからだ。中国やインドがデジタルにツヨくなったのは、変化を重視する伝統があるからだろう。彼らは「進歩」というより「変化」を好むのだ。出版はもともと変化を好む。デジタルは出版から量的制限を外した。変化の好きな30億もの人々がこうした周期を迎えたのである。15世紀からの500年の遅れを取り戻すことは想像に難くない。
陰陽合和し、三は万物を生ず
三の原理は、易占以外にも漢方医学の<気・血・水>など、様々な応用が可能で、三原色を量化して「自然の色」を表現するデジカメは日常的に使われている。アナログ(量)とデジタル(数)は表裏のもので、現在では後者を扱うほうが簡単で安上がりになった。
一方で、アナログを維持するモノとヒトはおカネがかかりすぎる。活版活字や銀塩写真を使うようなものだ。アナログは深遠だが、有限な現実にはデジタルが有効だ。出版はデジタルを使うことで、アナログな価値を追求できる。
グーテンベルク出版は「数量化革命」と呼ばれる人類史の画期に生まれ、機械文明とデジタルを経てAIとWebの21世紀を前に、とうとうその使命を終えた。出版は技術と社会を前提とし、それ自体が変化を免れない。’never’ なことは ‘never’ のみ、であることを多くの出版物が告げていたが、出版界は在来出版を「ゼッタイ」としてきた。
「ありえない」ことが「なぜ、どのくらい」そうなのか、とインド人はすぐ考え、計算すると言われるが、この原理の応用がかなり普及している。日本人は最初の「なぜ」から突き詰めて考えることをしない傾向が強い。それは自分で考えることで「世間」の規範を外れる可能性が強いからだが、教育のせいで規範の縛りが強かった。いま規範を脱することが出版とビジネスの新しい世界につながる。◆ (鎌田、01/07/2020)