英語の諺 ‘Curiosity killed the cat/Cat has nine lives.’ (好奇心は猫を殺す)、これは文字通りの意味(じっさい不注意による事故はある、人間と同じ)もあるが、そこから転じて「9回生き返る」として使われることが一般的だ。英国推理小説の定番のセリフだが、近ごろ筆者も「生き返る」ほうで手を借りている。それは室内猫の兄弟との付合いから学ぶことが多くなり、気がついたら「猫の好奇心」について好奇心を働かせていた、というわけだ。
ネコは孤独でもなかった。結構忙しい。
筆者の好奇心の源泉となったのは、2歳を迎えた「黒赤兄弟」(室内猫)。シンプルな黒猫と濃いオレンジのジンジャー・タビー種の「陽気な兄弟」である。ネコとの付合いは長いが、生後4週あまりで当家に「移住」したが最初に驚かされたのは、自分より「相手のほうが自分のことを知っていた」という感覚だった。考えてみれば、この兄弟とは生活時間も長い。誕生前から親猫含め一家とは因縁も長く(たぶん)、たがいに気心を通じており、「生活」を改善することにも関心を持っている。パンデミックを思わせた最初の「ノミ禍」とも共に戦った。
性格的にはクロが「文系」でアカは「筋肉系」という違いがある。この違いは互いに自覚しており、仲は非常にいい。子猫時代にクロがアカを陶酔させ安眠に導く必殺の「耳しゃぶり」のワザを遣ったせいではないかと想像している。もちろん価値観(食べる、寝る、遊ぶ)は共通しているが、愛と信頼のせいで、性格の違いー(実行(力)、ワル)知恵ーはプラスに働くようになっている。オトコ同士の協力+成功+友情はストーリーで固められる。
「個」の情報行動:知識と知恵が結びつく時
筆者が観察した家庭内での行動(いつも一緒)は、探求(動物性)、悪戯(幼児性)、冗談(社会性)という3つに分けられるようだが、感心させられるのは、彼らが「人格」と「個性」を持ち、家族内での「ソーシャル」を意識しつつ、毎日学習・進化していることだ。それは「アイコンタクト」や「しぐさ」「声と表情」でわかる。それに、コミュニケーションでの「試行・発見・学習・思考・共有」のサイクルが早く、「イノベーション」や「知的成長」も認められる。
これは「社会」のモデルと考えてもよいだろう。重要なことはネコといえども「個」があり「コミュニケーション」による「進化」があることだ。彼らは「話した相手」それに「人目」を意識しており、「秘密」や「まなざし」も識別している。行動範囲が狭くモバイルでないぶん、ソーシャルは的確に認知されている。
「ネット」は「メディア」へのアクセスを自由にしたが、人々は「メディア」と「オーディエンス」の性質が変わったことを理解せず、もちろんそこで流れる「情報」の性質の変化も理解しなかった。暑苦しい「プライバシー」を脱いで裸になってしまった王様もいる。普通に好奇心を刺激されたネコたち(そうでないネコはいるか?)は時にキケンなオオカミの「犠牲」になる。
「生活」なき「ソーシャル」を疑え
ネコと同様、人間は「社会的動物」ではない。いろんな情報を吹き込まれて、そう思い込まされているのだが、そう思い込ませているのは「社会」のプログラムだ。この「プログラム」は「命令」「勧誘」が含まれているが、ほとんどは主語、述語、時制その他の文法があいまいで、好奇心へと導く危険に満ちている。ネットの罠はプログラムにある。ネコたちが罠を避ける方法は、仲間やヒトから得られる情報だ。知識や知恵は複雑に絡んで役に立ち、その数は増えている。つまり「罠」に似ている。「ソーシャル」なプログラムはそもそもが、程度の差こそあれ「罠」なのである。帰納的かつ演繹的に効率よく考える方法はヒトからしか得られないだろう。ネコたちも、判断に際しては「たにん」の反応をうまく使う。ナマ情報を単純には使わないのである、だから「たにん」は多いほどいい、使えるとも言える。
好奇心にはリスクが伴うことは、彼らも知っている。危険物/薬、機会を自分で判断しなければならない。それだけに「第三者」から得られる情報に価値がある。そして「愛と信頼」のまなざしに見つめられた「個」どうしのコミュニケーション、つまり「空間」と「生活」が必要だと思っている。
いわゆる「ネット」は時によって、よい魔法にも悪い魔法にもなる。いやすべて情報は、「個」にとって「魔法」になるのだろう。このブログでは、情報の読み方とともに、よい魔法となりそうなお話を伝えていきたい。もっぱら好奇心のほうからだが、ネコ仲間たちが不幸(CK)に遭わないよう注意していたい。◆ (鎌田、09/09/2020=原文)
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