新しい10年(decade)が始まった。久しくなかった温かい「風」が吹いている動きを感じる。「ゼッタイ脱出不可能」な境遇にいたはずの人がハレて中東に現れた。「脱出ショウ」にトリックがあるように、今回の仕掛けも徐々に明らかにされるだろう。ともかく硬直した非対称の世界で、生命の「風」が吹き抜けたことは、膠着状態が溶けて、重く固い「事態」が動き出したことを意味する。 ... [続きを読む]
Books & the Web
YouTubeマッシュアップ体験
筆者は近年、中国やインドの音と映像記録から見える「人間の文化・社会」をテーマに、「全体」として「体験」的に観察する遊びにはまっている。「良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである」と、かのデカルトは『方法序説』で言っている。筆者は、本ならぬ、マルチ×メディア体験で「脳内オルギー状態」を発生させて夏を乗り切ろうというものだ。長年、文字で記述された(静的な分析や印象)をその通りのものとして錯覚してきた反省から、世界を映画や音楽、料理、文化などの(なるべく非言語的な)素材を通して体験することで、何かを発見しようということでもある。これは、Webによって、歴史上かつてなく安価な娯楽になっている。人様と共有できるようなものであれば幸い。 ※文中テキストリンクはWikipediaや説明サイトに、図写真はストアにリンクします。 ... [続きを読む]
Web時代の「本・著者・読者」(2): 本の社会性
「相互につながったもの」を意味するネットワークは、つながるもの、手段・内容・性質によってまったく違う様相を帯びる。それは生きているのだ。家族から企業、国家までの人のつながりは人間社会とともにあり、電話やTV、コンピュータなどのネットワークは、産業文明とともに生まれた。誰もが「一部」だと感じていたはずの「異質」なものが、ほんとうにつながって「しまった」時にどうなったか、どうすべきか、ということを思い出させてくれるのがWebであると思う。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』で次男のイヴァンの語る「大審問官とイエス」「悪魔の3つの誘惑」の有名なエピソードのようで、沈思黙考するしかない、というのがWeb30年を経た実感だ。 ... [続きを読む]
Web時代の「本・著者・読者」(1): 出版の何が変わったか?
この3月12日は、ティム・バーナーズ=リーが1989年、欧州原子核研究機構 (CERN) で「情報管理システムの提案」を提出してから30年となった。これがWebにつながる話は、長いようで短いが、Webは満30歳を迎えたことになる。世に出たのは1995年で、わずかの間に世界がこれほど変わるものか、というのが多くの人の実感だろう。 ... [続きを読む]
Web時代の出版と社会
本というものは、著者/読者が「自我」を映す鏡なのではないかと思える。とくに著者はそうだ。読者は変化する「世界」を知るために本を読むが、著者は読者を通して自分を知ることになるからだ。著者にとって読者は不可欠な存在だ。というより、著者/読者は最初からひとつなのだ。互いに遠い存在ではなく、社会に生きる人間の2つの側面で不可分ともいえる。読むことと書くこと、考えることと表現すること、学ぶことと教えること…などが一体であるように。 ※本稿は来月発刊予定『Kindle以後10年(Book2)』の草稿です。 ... [続きを読む]