「バーチャル」は「仮想」と日本語で言われているが、じつは専門家が予め警告するように、バーチャルは「仮想」の意味はない。「実効」とでもすべきものだ。その理由は、仮想という言葉を使うかぎり、転換期にこそ問われる「出版の本義」を見失わせるからだ。(ITでもなじみ深い言葉だが)バーチャルは「リアルとして定義され、リアルに機能する」ものであり、世界を実現する言葉以外のものではない。 ... [続きを読む]
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橋口和本論を読む:(2)「本屋」から出版へ
ものごとの初めと終わりは、その本質を知るうえで重要だ。「和本」の世界は、著者と読者と本を様々な形でつなぐ「本」屋で成立っていた。社会の言語活動の要としての「本」が必要とする専門性と一貫性、持続性は、本屋の開放性によって保障された。『江戸の本屋』はそのことを教えてくれる。活字は130年あまり前に和本を駆逐したが、それもやがて終焉を迎える。 ... [続きを読む]
橋口・和本論を読む:(1)本・出版・読者という「関係」
「鶏と卵とどちらが先か」ではないが、「本屋と本とはどちらが先か」という話はどうだろう。本とは何か、の答に直結する疑問に、筆者は橋口侯之介さんの『江戸の古本屋: 近世書肆のしごと』がどう答えてくれるかに関心があった。近世日本書籍・出版史とも言うべき本書は、本からではなく、歴史的に存在した「本屋」の仕事から丹念に考察し、「本屋は基本的に古本屋」である、と結論している(風月庄左衛門の『日暦』)。 ... [続きを読む]
プロジェクト指向出版:(5)なぜ、いまなのか
情報コモディティの生産と流通としての出版ビジネスは、オンラインが圧倒的に有利であり、アマゾンの優位はそこにある。しかし書店に引き籠っていてはグーテンベルク出版の最後の日を待つばかりだ。出版の主導性は、コモディティを超える社会的価値としての「大きな目標」を訴求し、実現する能力に懸かっている。 ... [続きを読む]
プロジェクト指向出版:(4)価値からの再出発
サービスに使われることなく、使いこなすには、出版の目的を明確にし、達成しなければならない、というわけで本題に入る前にサービスについてしつこく述べてきたわけだが、理解いただけたかどうか。しかし出版が何のために存在してきたかを、いまほど痛切に感じられる時はない。目的さえ明確であれば、プロセスはコントロールできる。 ... [続きを読む]
プロジェクト指向出版:(3)サービス化を超えて
デジタル(=サービス化)によって出版のエコシステムは一変しようとしている。出版に限ったことではないが、この転換には非常な痛みが伴う。出版における伝統的な仕事の価値観に多少とも浸し、そして様々な分野でのサービス化の現場を目にしてきた身としてはつらいものがあるが、出版を未来につなげていくために可能なことを考えるしかない。 ... [続きを読む]
プロジェクト指向出版:(2)サービスのデジタル化の進展
「サービス」の説明をとばしてプロジェクト/プロセスの話をしたいと思ったが、出版におけるサービスの性格はとても複雑で、しかもデジタルによってサービスが変容したことが出版の変化をもたらしているので、そこの理解が共有できないとプロジェクトが重要といったところで具体論には進めない。そこでしばし寄り道するのをお許しいただきたい。 ... [続きを読む]
プロジェクト指向出版:(1)コンテンツからサービスへ?
出版社にとって「版」は打ち出の小槌であり、それがプロダクトとしての本を生み出していた。しかし、いま版は確かな実体を失い、コンテンツもあまりに頼りない。多様な価値を読み取り、コントロールすることで出版の姿を変えている「サービス」は、しかし出版の中心主体にはなり得ないだろう。では、21世紀に本をつくりだす力は何なのだろうか。 ... [続きを読む]
「ぼくらの時代」の年代記を読む
さきに『ぼくらの時代の本』を上梓されたクレイグ・モド氏にインタビューさせていただく機会を得た。話の中身をご紹介する前に、この多面的な魅力を持つ「本とその出版」を筆者がどう読んだかを先に述べておくべきだと考えた。本はつくられ、出版され、のちのち読まれることで意味を持ち続ける。この転換期に、日本でこういう本が出たことをよろこびたい。 ... [続きを読む]
出版最強メディア論(3):多様性が豊かさを生む
マスメディアがカネのかかる設備を使って配信してきた同質的情報は、デジタル・メディアにおいては無価値である。数は現在価値でしかない。逆説的だが、コピーは誰でもできるが故に価値はないのだ。ベストセラーよりは、ユニークで深いな構造を持ち、時間をかけて深いコミュニケーションを実現する中小部数のコンテンツのほうが大きな可能性を持っている。この価値の転倒から本の復権が可能になる。 ... [続きを読む]