デジタルはアナログ(実世界)を経済的に模倣し、再現するものだ。実世界には問題を理解する達人とそれに準じた職人がおり、解決を与える。他方でデジタルは、問題が言語(数学的形式)として与えられさえすれば、忠実に実行する。場に応じる達人の智の言語化は難しい。中途半端なら手間が増え、完璧に噛み合えば職人の仕事はなくなる。アナログは深め、デジタルは追いかける。終わりがないのがいい。(編集子解題) ... [続きを読む...]
Kobysh Blog
コンテンツとテクノロジーの対話:(5)『日本語組版処理の要件』と小林 敏さん、小野澤 賢三さん(1)
要求が定義され、機能の仕様が合意され、標準が出来る。その後に実装製品が出てくるのだが、ソフトウェア標準の開発者がまず覚悟しなければならないのは、標準化に対価は得られず、よい標準であれるほど、その機能はデフォルトとなり、早晩商品価値を失うということだ。人類に火をもたらしたプロメーテウスの運命。EPUB 3の日本語組版をわれわれはどう生かすべきなのか。海外に出て行くか、日本に入ってくるのを待つか。時間はそうない。(編集子解題) ... [続きを読む...]
コンテンツとテクノロジーの対話:(4) 田川建三の『書物としての新約聖書』その3
書物・出版の成立史とともにあった聖書の変遷は、本の本質についての様々な側面を余すところなく見せてくれる。それは本の脱構築と脱神秘化という今日的課題への回答を考えるわれわれにとって、他では得難いものだ。田川聖書論についての論考の完結編は、翻刻の問題を扱い、版面に対する創造的アプローチの重要性を説いている。「原文に忠実」、「譜面に忠実」というのは聞こえはいいが、じっさいにはフィクションであり、それを墨守すると思考停止に陥る。(編集子解題) ... [続きを読む...]
電子出版史談:(8) 『数理科学』とOld Black Joe
日本の職人文化は世界から賞賛されてきたものだが、それはアートがあるからだ。それこそテクノロジーの進化の源泉でもある。だが残念ながら職人は仕事でしか語ってくれず、それが分かる繊細さを持った人しか聞くことができない。昔の編集者は、現場で職人と「対話」しつつ出版のアートの理解を深めることが出来た。今日「活字文化」が言われる割には、活版時代の活字と組版を省みる人は多くない。真似をするための技術であるデジタルがそこにあるというのに。(編集子解題) ... [続きを読む...]
コンテンツとテクノロジーの対話:(3) 田川建三の『書物としての新約聖書』その2
小林さんには、いつも「話の腰を折るな!」というお叱りをいただく。しかし、折りたくなるのは面白いからで、止められない。今回は、「製本と正本」について語られているが、ならば「製本なき正本」はありうるか、正本なくして正統も異端もないとすると、これからの社会はいったいどうなるか、と聞きたくなる。当初口伝に限った仏教が、その後無数の「偽経」を生産し続けたこと、古代中国の簡策のことなども想起されて止まらなくなる。 [鎌田解題] ... [続きを読む...]
コンテンツとテクノロジーの対話:(2) 田川建三の『書物としての新約聖書』
本の値段は、基本的にモノづくりとハンドリングのコストで決まる。価値とは別次元。当たり前のことだと思うが、出版業界ではそう考えないことになっている。小林コラムの今回は「本の価値と価格」の問題を取り上げている。インテリアとして普及し、その役目を終えようとしているリアル「百科事典」と、?年前に著作権が消滅しながら、つねにグーテンベルクの銀河の中心にあった不滅の「新約聖書」の対比に注目。 [鎌田解題] ... [続きを読む...]
電子出版史談:(7)『藪の中』と山口さん
文学作品がデジタルで読まれるようになって、文学解析がかなり一般化した。これは日本の文芸批評を(たぶん良い方向に)変えていくものと思われる。もう一つ、方向性は定かではないが、デジタル・ストーリーテリング、あるいは「電子作話術」というテーマがある。XMLドキュメント管理ツールとこれらが、5年も前に結びついていたことを編集子は初めて知った。暇になったらジェームス・ジョイスやヴァージニア・ウルフでも解析してみたい。 [鎌田解題] ... [続きを読む...]
電子出版史談:(6)『電子聖書』と中野さん
聖書は言葉と本の大銀河の中心に君臨し、グーテンベルク以来、いやパビルス以来、冊子写本、印刷本と、つねに本の発展とともにあった。現代のタブレット(元は粘土板の意)でも聖書アプリは最もよく売れている。編集子は電算組版の父ジョン・シーボルドの開発動機が伝道用「テーマ別」聖書の編集・印刷のためであったことを知人に聞かされて以来、このテーマに注目してきた。小林さん、中野さんの発見は、本とは何かということに深く関わっている。(編集子解題) ... [続きを読む...]
電子出版余談:『普遍論争』と中野さん異聞
いま風にいえば、本は「ソーシャル・ネットワーキング」から生れる。それに関わる人々の知識空間とその磁力が強ければ、ネットワークは時代を超えて成長していく。中野幹隆という偉大な編集者が手がけ、平凡社・西田裕一氏によって復刊された、先駆的なDTP本『普遍論争』(山内志朗、1992, 2008)は、フルデジタル時代の劈頭にあって、出版の意味、本の運命を問いかける。ここに西田氏の一文を転載させていただく。 [編集子蛇足] ... [続きを読む...]
電子出版余談:書物の解体新書第二ラウンド
1冊の本は固有のライフサイクルを持つ。ひとたび「出版」された後の運命は、梱包すら解かれずに返品・廃棄の憂き目を見る本あれば、買い手の書棚に鎮座して添い遂げる本もある。しかしその中間の領域こそが重要だろう。古書市場は推定1,000億円ほどの規模を持つ。そして、E-Readerで読むためにスキャンされる本も増えている。出版社や物書きは、5年前の小林さんの問題提起を受け止めるべきだった。業者を提訴しつつ、電書制作のためには自ら業者を使って「自炊」するような醜態をみせることもなかったろう。 [編集子解題] ... [続きを読む...]