橋口和本論(と呼ばせていただく)から受けた重要なヒントは多く、簡単には整理できない。こういうときは整理を後回しにして、記憶が薄れないうちにインスピレーションをそのまま書きとめ、浮かんでくるアイデアをランダムに書き綴っていくしかない。和本の世界はデジタルと親和性があり、その復興が出版の21世紀を創造的なものにするという確信は、今年最大の収穫であった。和本は世界的な文化遺産にとどまらず、出版とテクノロジーのあるべき方向を示している。(写真は奈良絵本『ゑほしおりさうし(烏帽子折草紙)』) ... [続きを読む]
Documentation
オープン・パブリッシングのビジョン:(番外) 知の銀河系を開放する
出版コンテンツ論 (3):サービス指向E-Book
昨日の記事に多くのアクセスとコメントをいただいた。次回以降で、コンテンツ自体のソシアビリティを実現するモデルと出版社/編集者の仕事について考えていきたい。問題の組立て方が間違っていなければ答は見つかるはずだ、というのが筆者の信念でチャレンジしているが、ご協力いただければ幸い。そこで分かりやすくなるように図で表現してみた。本サイトが目指す “E-Book 2.0”の性格を「サービス指向E-Book」あるいはBook as a Service (BaaS)と呼ぼうと考えている。 ... [続きを読む]
出版コンテンツ論 (2):E-Bookのソシアビリティ
コンテンツは社会的概念であり、コンテンツがコンテンツであるためにはコンテクストを実装する必要がある。コンテクストの提供(社会化機能)をクラウドプラットフォームに依存している現在のコンテンツの形態は、出版社にとってまったく不利なものだ。印刷本が持っていた、実体としてのオーラが失われつつある現在、出版社はE-Bookのユーザビリティを通じてソシアビリティを高め、読者との間のインタラクションを構築する必要がある。つまり本をソーシャルメディアとするのだ。 ... [続きを読む]
出版コンテンツを考える (1):<本>とコンテンツ
「コンテンツ」は、具体的な形をとり、流通して初めてコンテンツとなる社会的、関係的な概念であって、これで商売をするためには、「中身」よりもよくよく形態や機能を考えないわけにはいかない。価格についても、権利についてもそうだ。そこで具体的なプロセスと機能の面から、流通するための条件を考えたいわけだが、漠然とした言葉だけに、これまで不用意に扱われ、あまりに多くの錯覚、倒錯を生み出してきた。まずこれを脱神秘化しておきたいと思う。 ... [続きを読む]
Web出版環境とは何か:DD研参加記(3)
前回は、EPUB3によって「Web出版環境」が完成した、ということを述べた。これは印刷本の電子的複製とは次元が違う、デジタルドキュメントとしてのE-Bookの潜在力が全面的に開放されたことを意味する。JLreqを含むEGLSがEPUB3に盛り込まれたおかげで、われわれは幸いにしてこの革命にそう遅れずについていくことが可能となったわけだが、そのために知っておかなくてはならないことが多い。 ... [続きを読む]
Webを出版環境に変えた活字組版:DD研参加記(2)
デジタルドキュメントとE-Book:DD研参加記(1)
E-Bookに関わる技術は「デジタルドキュメント」だ。歴史は非常に古いが、Web環境の進化とともにダイナミックに変容した。簡単に言えば、ドキュメントに対してあらゆる情報技術を連携させることが可能になったということだ。このことは、日本ではほとんど理解されていない。人々が「インターネット」で総称しているものの核心は、デジタルドキュメントにあり、本質は知識コミュニケーションのデザインにあるのだが、多くの人が紙の文書に対する電子文書という側面でしか考えていないからだ。E-Bookと同じように。 ... [続きを読む]
ソーシャル編集は出版の黄昏を告げるか
FlipboardやPaper.li、Ziteといった「パーソナル・マガジン」をご存じだろうか。ユーザーの「関心」に応える記事を集め、雑誌や新聞のようなプロっぽいレイアウトで、毎日提供してくれる「擬似メディア」のことだ。ユーザーがフォローしている情報と情報源は、TwitterやFacebookなどから抽出されたプロファイルで定義し、記事は一定のロジックでボットが自動的に集め、CSSテンプレートに流し込んで表示する。「そこそこ」役に立つ内容の記事が「それらしく」見えるのが特徴だ。これは「ソーシャル編集」とも言われる。 ... [続きを読む]
21世紀の“見えざる”出版テクノロジー
出版に関するテクノロジーは、かつては組版・印刷・製本であり、最近では電子書籍と書籍端末、あるいは「オンラインプラットフォーム」であると言われている。しかし、今日E-Bookビジネスに意味を持たせているのは、そうしたものではない。「iPadの前にKindleなど鎧袖一触」とならなかったのはなぜか。アップルの形を真似ても蚤のひと跳ねも出来ないのはなぜか。それは目に見える部分だけでは分からない。見えざる手を動かすことでビジネスが動くのが21世紀なのだ。 ... [続きを読む]