「音楽は言葉で名づけることが出来ず、知ることが出来ないことを伝える」とレナード・バーンスタインは言っている。音楽は「体験でありコミュニケーション手段」でもあるということだ。とはいえ、音楽について語られることは、演奏はもちろん、楽理や記譜法からコンサートの絶叫に至るまで、古来尽きることはない。それは体験が基本的に「意識 (内的知覚現象)」に属することで、語り・伝えきれないものだからだ。バーンスタインも、あらゆる場所で、あらゆる人に話すのが好きだったが、それ以上に「音楽」を表現したかった。(写真はオランダ出身のエディ・ヴァン・ヘイレン) ... [続きを読む]
UI/UX
猫は信じなくても時に人を救う
道具が芸術・表現に影響を与えることはよく知られている。メディアはさらに「コンテンツ」の価値を変える。創作・表現ばかりではない。Webは多くのモノやコトをコンテンツに変えた。サッカーが世界的な巨大ビジネスとなったのも、そしてどこにでもいる猫が近しいコンテンツとなったのもWebのUXのせいだ。この現象は考えてみる価値があると思う。 ... [続きを読む]
UXブログ:落語と「てきすと」
落語の柳家小満ん師匠(75)の 口演用『てきすと』の自費出版は、34巻を過ぎて続けられているが、師匠のインタビューが産経ニュース(01/28/2018)に掲載されていたのを見つけた。音声/文字、2つの言語を往復することの意味を理解する上で、話芸の長老の声は貴重なものだ。言語表現は文字と声が一体のものであることを実感させる。文字+オーディオが自由に使える時代に、その先を期待したい。 ... [続きを読む]
UXブログ:物語とバザール体験 (1)
[ユーザー+エクスペリエンス=UX] 「ストーリー(物語)」が創作の世界から抜け出て、ラジオやTVで放送され、日常的に共有される現象は、いまから1世紀ほど前に始まった。放送ドラマは「マスメディア」の全盛期を築き、商業出版もそれを追って大規模化した。 Web以後に起きたことは、その再現であると同時に再構築でもある。Webの銀河系は「近代」以前への回帰を伴いながら、スケールを拡大させている。違いは、この運動のエネルギーが物理的なメディア(力)ではなく「人」のコミュニケーション(体験/共有)から生まれるものであることによる。 ... [続きを読む]
UXブログ:体験は主観・気まぐれ…
UX、スタバ、アマゾン
最近のビジネス系出版物の惹句では「リアルとデジタル(バーチャル)」という言葉が目立つが、思えばこれは20年ほど前の「ITビジネス」がテーマとした「経営とIT」というのと同じ。それぞれの関係者にとって異質な、あるいは本質や関係がよく分からない「重たそうな言葉」を並べて勿体をつける編集手法だ。 ... [続きを読む]
「ぼくらの時代」の年代記を読む
さきに『ぼくらの時代の本』を上梓されたクレイグ・モド氏にインタビューさせていただく機会を得た。話の中身をご紹介する前に、この多面的な魅力を持つ「本とその出版」を筆者がどう読んだかを先に述べておくべきだと考えた。本はつくられ、出版され、のちのち読まれることで意味を持ち続ける。この転換期に、日本でこういう本が出たことをよろこびたい。 ... [続きを読む]
プレ・グーテンベルクの復興(3):デジタルによる統合へ
プレ・グーテンベルクの復興(2):読書環境
紙の上に書かれたものに価値があるのは、それを読むことを通じて知識や表現の持つ意味が伝わる場合だ。グーテンベルク以前の書物は、それを扱う様々な文化的行為によって、今日では容易に想像できないほどの力を持ち得ていた。モノとしての本が相対化されることで、読むことを中心とした新しい環境が見えてきたが、それは偉大な伝統の復活の可能性を告げている。(鎌田博樹) ... [続きを読む]
プレ・グーテンベルクの復興(1):はじめに
「グーテンベルク以前の書物のための仮想読書環境の構築」という筆者のアイデアが、今年のフランクフルト・ブックフェアの Digital Publishing Creative Idea Contestで表彰された(→リリース)。本サイトでも取り上げてきた「和本プロジェクト」(Project Beyond G3)の最初の対外的成果である。発表内容について連載でご紹介してみたい。(鎌田博樹) ... [続きを読む]