デジタル化は、伝統的出版を窮地に追い込むと同時に、旧来の制約から解き放たれた新しい「出版」の可能性を拓いています。私たちは現在が印刷技術の導入以来の歴史的過渡期であると考え、知識情報のコミュニケーションにおける出版の創造的機能をさらに追求し、再定義する好機と考え、世界で進行している活動やコンセプトを伝え、多くの人がこの歴史的プロセスに参加するお手伝いをしていきたいと考えています。
なぜ”Ebook2.0″か:非対称性の時代の終わり
500年あまり前にグーテンベルクの銀河系(*)が誕生して以来、活字出版はつねに社会的なコミュニケーションの主流でした。それは「近代」の生みの親となり、以後の社会は出版とともに発展してきたといっても過言ではありません。1世紀近く前に生まれた放送は、音声や映像を同時的に配信することにより新しいメディアの世界を創造しましたが、「公衆に向けた非対称的な情報配信」という面では、違いはなかったとも言えます。窮屈ではあっても、共存は可能でした。デジタル以前の世界には、良くも悪くも、安定した階層的あるいは分業的秩序が存在していました。マスコミとミニコミ、作家と読者、プロとアマ、出版社と印刷会社などなど。
しかし、500年(日本人にとっては130年あまり)続いたこの秩序にも終わりがきました。デジタル技術が、文字・画像・音声・動画だけでなく、通信・放送を同時に扱うようになり、さらにインターネットという、装置に依存しない、ユニバーサルな対話型メディアに載せて双方向の送受信を、それも地球規模で実現するようになったからです。広告と結びついて発展してきたマスメディアは、圧倒的な影響力で繁栄の頂点を極めながら、いま坂を転げ落ちています。あらゆる境界は急速に意味を失い、「非対称な情報配信」の堅固な基盤を侵食しています。
この「非対称的世界」の崩壊にあって、人々の意識、社会の仕組みはまだ追いつけないでいます。無理もありません。メディアは人々が世界を認識し、考える道具の一部であり、M.マクルーハン (1911-1980)が喝破したように、人間の知覚=精神、社会認識、歴史と文化に大きなインパクトを与えるものですが、私たちはまだこの多形的 (polymorphic)で偏在する (ubiquitous)情報環境の性質を十分に理解するまでには成熟していないのです。ビジネスだけでなく、教育、政治など、現在の社会システムの多くも、旧来の非対称的なコミュニケーションを前提にしています。
私たちはそろそろ、爆発的な勢いで普及するサービスによって変えられるメディアの風景にただ一喜一憂したり、無条件に何か良いものを期待したりするのではなく、認識と思考の枠組みを再構成しながら、新しい環境を望ましい方向で機能させる方法を考えるべき時に来ているのではないでしょうか。出版は本来、人や組織が行う知識情報の発信活動を意味する普遍的概念で、「非対称」性に縛られるべきものではありません。むしろデジタル化によって伝統的な境界や制約から解き放たれる現在こそ、新しい「出版」の創造的機能を再定義する好機であると考えられます (10/12/2009)。