前回の問題提起に続いて、何が問題になっているかを考える。デジタルコンテンツは印刷刊行物の改版と本質的に異なる性質を持っている。それは、 (1) 再編集や更新が容易で、 (2) 版元のリスクがなく、 (3) マーケティングの可能性が大きいということだ。デジタル版には店頭から消えるまで売れるのを待つしかないという制約がない、組合せを変えることも、オンデマンド印刷もできる。そうした多くの可能性への対応を、例示されている契約書案は触れていない。デジタルコンテンツに関して、出版社はメーカーとしてではなく、具体的なスキルとパフォーマンスを持ったサービス・エージェントとして対応するしかないと思われる。(♥=会員)
デジタル的利用許諾は著者にとって「新しい契約」である
E-Bookは派生的なものではない
出版関係者は(おそらくは著者も)デジタル的利用を印刷物に対する「派生的なもの」と考えていると思われる。ビジネスの経緯からいっても、市場の規模からいっても、印刷物を本体と考えるのが自然だからだ。しかし、5年後にはおそらく違うことを考えるだろう。印刷本の増刷や再刊の機会がますます減り、逆にE-Bookのマーケティングが進化することで、市場が拡大し、その結果デジタルのほうが魅力的になるからである。たとえば、以下のような可能性は十分に現実的と思われる。
- 一部を再編集して新しいコンテンツをつくる(アンソロジーなど)
- オンデマンド印刷(POD)など、新しい増刷手段を利用する
- 別のコンテンツを売るための呼び水として無料で公開する
- コンテンツ配信が広告モデルと結びつくことで広告収入を得る
電子コンテンツのマーケティング手法は3年で確立する
E-Bookは印刷本の電子データを再加工して販売することだけと考えているとすれば、それは想像力が乏しいと言わねばならない。E-Bookは再編集・更新が容易な形態であり、単純な訂正にさえ版の修正と印刷・製本(あるいは正誤表やシール)を要する印刷本とは比較にならない。現在はただ流通の側からのみ注目されているが、いったんデジタル化されれば、出版社はその本業である前段階での付加価値を考えるようになるだろう。もちろんここでは、コンテンツの持つ可能性が個別に、また継続的に再評価されることになる。これは在庫リストに対して、より適切なマーケティング(読者対象、販売方法、価格…)を組合せることを意味する。そして本のマーケティングこそ、ここ数年で最も革新が進むと考えられている領域なのである。
デジタルコンテンツは終着点ではなく、むしろ出発点である
これまで出版社にとって、刊行後の本は「プロジェクト」としてはほぼ完結した状態であり、あまりない増刷や、めったにない再刊の可能性を持ちつつ、まず流通在庫から、次いで棚卸資産として完全に消滅してしまう運命にあった。しかし、デジタルになれば、リストから消去しない限り、販売可能な資産として残る。製造業においては在庫は悪であり、極限まで減らすのがベストだった。逆にデジタルでは、コストがかからない在庫は多いほどよいのだ。出版社は取次から仮払金のようなものを受取ることはできないが、そのかわり極限まで在庫を増やすことができる(!)。
電子在庫を増やした出版社の経営は、コンテンツを出版プロジェクトの成果である完成品としてではなく、むしろ材料や部品として扱うようになるだろう。出版社としては徹底して市場指向になるほうが合理的だからだ。その傾向はニッチを抱える中堅よりは大手出版社ほど強くなる。たとえば書評や写真を付けた別エディションを出すのは容易だし、別の作品・著作と組み合わせた「全集」や「選集」から「のすべて」「丸ごと」「わかる」「できる」まで、ブームやカップリングのアイデアに沿って商品化が試みられるようになるということだ。いったんE-Bookのフォーマットになってしまえば、1000ページでも10000ページでも制作コストはさほど変わらない。もともと出版社の多くは、同工異曲の企画を得意としてきたのだから、さほど難儀なことではない。
つまりこういうことだ。デジタルコンテンツのライフサイクルは、デジタルの形で世に出た時から始まる。市場のニーズに合わせて形は変化する。加工費はいくらでも安くでき、流通コストも同様だからだ(30%の委託費が嫌なら自分でも売れる)。発行した途端にほとんどが不良在庫になる印刷物と、コストのかからない資産との違いはあまりに大きい。
印税率よりも、コンテンツの価値を引き出すために何が出来るか
コンテンツの多様性への対応と差別化が問われる
出版社にとっての懸念(あるいはチャンス)は、権利がすべて著者にあることだ。著者は(多くは品切れ・絶版になっているであろう)既刊本の運命について決定する法的権利がある。前回述べた通り、「とりあえず」という出版社とは別の考えを持つ可能性は十分にあるし、その意向を拝聴しないで「権利はタダで、印税は15%で」と言わんばかりの契約案に感情的反発を覚える著者も少なくないかも知れない。著者と戦争して勝てる時代ではない。より有利な条件を出す出版社が現れれば、「長年の厚誼」も消し飛んでしまいかねない。
出版社はそこでコンテンツに対して提供できるサービスを競うことになる。どのようなマーケティングでどうやって、どのくらい売れるか。新たに著者・読者が満足するどのような付加価値がつけられるか。印税率は一部でしかない。50%であろうと70%であろうと、必ずしも著者に満足を与えられるものではないからだ。読者との継続的なコミュニケーションを重視する著者、更新や再利用を含めた企画・提案力を重視する著者、長期に安定した関係を重視する著者など、個別に対応しなければならなくなる。
つまるところ、デジタル時代には、著者と読者以外の中間的存在はサービスを提供するエージェントになるほかないということである。デジタル化の前に技術的問題は存在しない。あったとしてもすぐに消滅する。すでに欧米ではE-Bookフォーマット間の相互変換は無償で行われており、フォーマットに価値はないし、ましてやコンテンツの入手性を制限するようなフォーマットは生き残れない。デジタルコンテンツを持つ著者は、メーカーとしての出版社を選ぶのではなく、コンシューマー・ブランドを背景にしたサービスエージェントを選ぶことになる。原出版社、新出版社、そしてオンライン出版社、オンライン書店がその選択肢に入るだろう。この選択は市場を活性化させ、宝の持ち腐れのような状況を改善する期待が持てる。
「デジタル」で出版ビジネスの性格はサービス指向に変化する
出版社は成功率の低い一発勝負の“ベンチャービジネス”的性格を持った製造業から、著者と読者の間でコンテンツに対する付加価値を提供するサービス業としての性格を強めていくことになるだろう。それでは創造性が求められる新企画はどうなるのか。それもまた、既刊本のライブラリとの位置関係を見て決められることになる。出版社が扱いを止めない限り、既刊本は生き続ける、ということは新規企画は必ず、テーマが関連する社内・社外の既刊本と対照させた上での優位を訴求しなければならなくなるからだ。
出版関係者の中には、紙とデジタルとは両立しないという思い込みがある。思い込みというのは、米国で3年たってもまだ証明されていないからだ。その逆のデータはあるが一般化できるほどのサンプルではない。しかし紙の市場が微増か漸減であるのに対して、E-Bookが年率100%以上の勢いで伸びているのは確かだ。既刊本、絶版本のデジタル化も進み、ペーパーバックを廃止する出版社も出てきているし、在庫を廃止してオンデマンド印刷に切り替える出版社もいる。出版において唯一のダイナミックな部分がE-Bookなのであり、ここから目を背けることは自殺行為となる。
フォレスター社の市場調査は、出版社は「デジタルを既定のものとして、物理的な出版がデジタル出版ビジネスをサポートする補助的な活動となる日に備えるべきだ」と述べている。もし出版社が、紙が売れる間はデジタルは出さないという方針を貫けば、デジタル版は紙で売れなくなったものに限られるだろう。出版社がデジタル版についての契約を、逆にデジタル出版を押さえておくために使うとすれば、サービス化をめぐる競争に勝ち残る可能性は低くなる。著者と読者にはつねに選択権があることを忘れてはならない。 (鎌田、11/10/2010)