アップルが今月末、ニューヨークで重要な発表を準備しているという噂が、複数の情報源から伝えられた。それは巷の話題になっているiPad 3ではなく、インターネットTVでもiPhoneでもなく、この都市に代表されるメディアビジネスに向けられたものであるという。それはジョブズが目指した「未完の」メディア革命の残りの部分、コンテンツ/アプリに関するものだ。中身は発表を待つとして、ここではアップルが何をテーマとしているかを考えてみたい。
ジョブズのiPadと未完の革命
All Thing's D (01/02)によれば、この発表には、インターネット・ソフトウェアおよびサービスを担当し、クックCEOの後継者とも目されるエディ・キュー上級副社長(SVP=昨年9月に昇格)が関わっている。キューSVPは、事実上彼が立ち上げたメディア事業部門を率いており、iTunes Store、App Store、iBookstore、iAdおよびiCloudサービスを担当する。デバイス事業とともにアップルのビジネスモデルの基幹を担う立場にある。モバイル広告分野では、昨年夏に退社したアンディ・ミラー副社長の後任に、アドビの広告担当SVPだったタッド・テレージ氏を引き抜いたばかり。同氏は、モバイル・アプリ開発環境で雑誌社や新聞社との緊密な関係を築いた人物として知られる。移籍した途端にライバル社の同事業の前面に登場するかどうかはともかく、ニューヨークのイベントの影の主役がテレージVPであることは確かだろう。
発売から2年あまり、膨大な販売数にもかかわらず(むしろそれ故に)、iPadがメディアビジネスにあまり貢献していないことは、多くの人々を困惑させ、あるいは気の早い人を落胆させてきた。iPod/iPhoneアプリの転用やWebブラウザのおかげでアプリ不足という印象はないのだが、当初考えられていたような、iPad独自のエコシステムの繁栄にはまだ結びつけられてはいない。Kindle Fireという、直接にはライバル関係にないものの、拡張を続けるKindleエコシステムを担ったデバイスが登場したことで、もう一つのiPadビジネスに注目が集まるのは必然だった。
じつは、大方の予測に反してアマゾンがタブレットへの参入を控えてきたように、タブレットに最適化されたコンテンツ・エコシステムの構築は簡単ではない。周知のように、
- タブレットが独自のメディアとなるには、キラー・コンテンツが必要。
- タブレットの市場が一定規模に達しないとメディアとして成立しない。
- 開発コストが高いとアプリの開発リスクが大きく、メディアビジネスになじまない
という問題があり、これはiPadがiBooks 5000万台規模になっただけでは自動的に解決するものでないからだ。開発コストを大幅に下げるには、基本的に2つの方法がある。(1)オープンな標準技術と安い開発環境の成熟を待つか、逆に(2)自社OSの上での開発環境を無償で提供するかだが、前者では差別化が出来ず、後者は(開発よりメンテナンスとサポートに)コストがかかりすぎる。そこで両者の間で中間的な領域で絶妙なバランスを目指すことになる。
標準技術の成熟で意味を持つ開発環境と開発・流通支援
iPadの場合、開発ツールで市場を押えている(かつてのパートナー)アドビのFlashを相対化する必要があった。そこでHTML5/CSS3とWebKitというオープンソース・プロジェクトにリソースを投入し、これらを成熟させた。おかげでEPUBが完全に面目を一新し、日本語の縦組まで表示できるようになったことは記憶に新しい。これらはiPadアプリ市場のために、あえて迂回的アプローチを採ったものだ。オープンソースをビジネスモデルに組込むこのスケールの大きさは、IBMに匹敵する。
標準は成熟し、アドビは相対化された。そしてOSや特定の開発環境から離れたアプリやアプリ化したコンテンツが商業化され、今年の市場をリードすると見られている。Financial Timesは、HTML5でアプリに転換してiOSルール(通称アップル税)を無効化した。しかし、新しい標準を使いこなしてターゲット・デバイスに最適化する環境はまだない。IT企業やゲーム開発者にはさして難しくはないが、メディア企業にはそうではない。1月というタイミングは絶妙と思うが、よくまあ我慢したものだ。昨年秋から、iPadのメディアビジネスはようやく軌道に乗り始めた。大手雑誌企業は初めて現実的な収益源として見るようになった。
次のステップは、裁判となっているエージェンシー価格制をもたらしただけで、シェアが低迷しているiBooksプラットフォームの一新だ。最近音声、ビデオその他の機能を使った拡張E-Book、The Yellow Submarineをリリースして、EPUB3をサポートしたiBooksをデモしたが。今月の発表は、おそらく「iBooksに最適化したEPUB3コンテンツ開発環境」を含むものではないかと考えられる。さらに、ジョブズが最後まで執念を燃やしていた教育アプリ=電子教科書に関連した発表も予測されている。これは大規模な「アカデミック・パック」―例えばアプリ開発・流通支援プログラムなど―を含むものとなろう。ジョブズの名を冠したプログラムになるかもしれない。
ジョブズが構想した、新しいメディアとしてのiPadは、たんなるタッチ式タブレットで終わるものではない。その片鱗はすでにいくつかのアプリで示された。しかしそれらはまだ市場で十分な成功を収めておらず、百万ドル近い開発費を必要とした。ジョブズのマジックを人々が真に実感するには、モチベーションと開発環境を提供する必要がある。その仕事はクックCEOとエディ・キューSVPに託されている。◆ (鎌田、01/10/2011)