ジョブズなきアップルの限界
複合型ビジネスモデルは、基本的に成長市場における「恒常的拡大」を志向するものだが、そのためには利益を犠牲にする必要がある。正確に言えば、恒常的拡大のための投資を常時行って資金の回転を速くし、滞留させないことだ。<シェアか利益か>の選択が経営判断の基本だが、ジョブズは利益を重視した。配当のためではなく、キャッシュを積みあげることでより大きな冒険とリスクに立ち向かうために。これはキャッシュで苦労したジョブズの体験から得た教訓だったのだろう。しかし度を越した成功とジョブズの死が、冒険の継続を不可能にした。普通の大企業になったのだ。
アップルはデバイスに軸足を置いてはいるが、デザインと調達管理、販売にフォーカスしている(液晶、チップセットなどを自製していたら困難度は一桁増す)。だから生産に関してはかなり柔軟なのだが、晩年の神がかり的な成功は、恒常的拡大と利益率の最大化を奇跡的に両立させた。ジョブズの没後、投資家の要望に抗しきれずに配当に踏み切ったのだが、その結果「利益率」に注目が集まることになった。そして直近の四半期決算では、1兆円の利益を続けてさえ、ウォール街の失望を買った。これは企業戦略を制約することになり、何よりも成長の恒常性が保証されない。恒常性が失われれば急速に没落するのがデジタル時代の理である。しかも、アップルの場合はガジェットにおける「創造的破壊」でなければならないのだ。創造的でない人ほど創造性を声高に叫ぶ。思うに、ジョブズは投資家を満足させることの危険性を知っていたのだと思う。
資本主義における2人の主人(消費者と株主)に同時に奉仕するのは不可能だ。とくに利益と株価、現状と将来性の両方を要求する株主の欲望には際限がない。時に赤字さえ計上するアマゾンは、投資家に利益など期待させないので失望もさせない。アマゾンは十年以上かけて投資家を教育することに成功した。やはり投資家におもねることの皆無だったジョブズは、いくら儲かっても配当を拒否し続けたので、同じく利益を期待させないことに成功していたわけだ。生前は。
デジタルのジャガーノートを御すアマゾン
では、デバイスとコンテンツの関係をどうつければいいのか。デバイスを主体にコンテンツを紐づけるのは拡大に限界がある。他方でコンテンツを主体にあらゆるデバイスをサポートするのは合理的だが、無数のメディアの中から選択してくれる保証がないので、企業のビジネスモデルとしてはオープンに過ぎる。強力なクラウドやマーケティングは、必要条件ではあっても十分条件ではない。ハイテク分野ほどイノベーションの圧力が働くからである。
結局、最も安定しているのは消費者の「日常」である。こればかりはあまり変わらない。消費者は様々なデバイスを使い、メディアにアクセスし、何かを消費する。毎日使うメディアとは、ユビキタスであって同時に唯一なものでなければならない。そうしたメディアとなり得る機会を最大化するために、Kindleのデバイス・エコシステムは存在する。つまりE-Readerとタブレットの2つのKindleは、Android、iOS、PC、Mac、BlackBerry、Webという同心円のプラットフォームの濃淡で描かれる世界と、スマートフォン、タブレット、E-Readerという、消費するコンテンツとモードの違いで使い分ける世界の中心に位置している。すべてのプラットフォームに対応することのメリットは、顧客にとっての利便性と安心感のほかに、アマゾンが最も重視するユーザーのメディア・ライフ(デバイスの使い分け)に関するデータがリアルタイムで得られるということだ。
例えば、このエコシステムの中にKindle Phoneが入っていないのは、不要なのかコスト効果が引き合わないかのどちらかだろう。何をどのデバイスで購入するか、消費するかという利用パターンからユーザーのクラスター化を行い、カテゴリの粒度を変えながら動的な分析を行っているものとみられる。Kindleデバイスは、アマゾンという大河の支流で、あらゆる環境に展開するKindleアプリは、その支流に接する毛細血管のような流域地帯を形成する。
Kindle Fireが月々3ドル稼ぐと、ライフサイクルでは20%もの利益率を実現できる、というABIのレポートは、かなり真実に近いように思われる。この利益は、しかし株主の配当に回されることはなく、様々な無料サービスなどを通して消費者(つまりシェア拡大)に向けられることになる。 ◆ (鎌田、01/31/2013)