JMangaサービス停止の波紋

J-manga_logo_242x681「日本のマンガ出版社が連携して海外展開を目指」したJ.Manga.comは3月14日、コンテンツの販売(3月13日)、閲覧(5月30日)の全てを停止すると発表した(→サイトの告知)。集英社、小学館、講談社など国内出版社39社からなるデジタルコミック協議会の協賛の下、凸版印刷の関連会社であるビットウェイが2011年8月に設立したこの事業は、わずか1年半で潰え去った。米国を中心とした世界のファンに「電子書籍の悪夢」と「クールジャパンの寒い現実」という結果を残して。これも想定の範囲内だったのだろうか。

クール・ジャパンに冷や水

残余のストア・クレジットはアマゾンのギフトカードで払い戻し。5月30日をもって購入済のコンテンツは失われるがダウンロードは許されない。印刷版すら手許に残らない。「誠に遺憾に存じます。」とお知らせは述べている。

こういう事業は、多数の協賛を得て、鳴り物入りで喧伝された事業ほど、消える時は妙に静かだ。教訓を探すことはおろか、問題が整理されることさえない。メディアも忘却に協力するので、大企業の組織内で将来の失敗を問題視しない習慣をつくることには意味があるのだろうが、失敗を減らすことには役立たない。失敗ほど重要なことを教えてくれるものはないのに。そこで少しばかり問題点を整理しておきたい。

サービスの中止は、売上とユーザーが増えず、採算性が(将来にわたって)見込めないので、開発投資などは無意味と親会社が判断したためと思われる。なぜそう判断したかが問題だ。米国その他で日本マンガへの人気が衰えているという話はよく聞こえるようになっていた。しかし、「そんなことはない」という声も外国人から聞く。前者は出版業界からであり、後者はファンあるいはその周辺だ。どちらも事実なのだろう。単純化すれば、かつては黙っても売れたが、いまでは熱心なファンしか読まないという程度のことだ。この2年で状況が変わったわけでもない。

文化・風俗依存的コンテンツはブームによる盛衰があるが、出版の場合は読者(ファン)が「生き残る」ことで次のブームがもたらされる。日本のマンガに限らず、アメコミも悪い時期を迎えており、実写映画だけが儲かっている。しかし、関係者は低収入に耐えながら、構造転換の中で次の展開を準備している。それが「よい」もので、必ず多くの人に分かってもらえると確信しているからだ。それがアーチストでありプロフェッショナルだ。文化産業は彼らによって存在している。出版社も、ビットウェイもそうだろうと思う。それが1年半で中止と判断するほど切迫した事情でもあったのだろうか。やりようがなかったのかあったのか。日本のマンガに。それはなかったと言えるだろうか。

JMangaの消滅は、海外のマンガ・ファンにショックを与えるものではないのだろうか。そうではないのかもしれない。出版社はすでに「売れるもの」を提携先を通じて、あるいは独自に販売しているからだ。それなら「売れるもの」を出す気もないで“協賛”とはどういうことだろう。要するに出版社はマンガを普及させる(市場を育てる=マーケティング)など本気で考えていないということか。外国人のファンが増えたのは、もちろん日本語がある程度読める外国人ファンのお蔭であり、評判になったのはこれをスキャンし、わざわざ法を犯してまで共有したファンのお蔭。そうしたグラスルーツの上で「クール・ジャパン」を寿いでいた業界はいい気なものと言うしかない。これで「隣接権」など100年早い(いや遅いか?)。

読者の権利は三行半で消えていいのか?

JMangaはそうした日本マンガ普及の“功労者”であるファンを海賊扱いするところから出発した。あいさつぐらいあってもバチは当たらないのに、JMangaはわざわざ(国内向けに)海賊対策を謳い、DRM付き高価格でスタートした。ほんとうにコンテンツに対するリスペクトがあれば、ユニークな価値を少しでも知っていれば、法律やカネの話より前にまず共感を持って接し、何が、どう面白かったか、どうしたらもっと広がるかをファンに聞いたろう。何というか、どうも役人が魚を売るような違和感を、かの国のファンは抱いたに違いない。出版界にはほんとのところマンガ好きな人間はそう多くないのではなかろうか、と思ってしまう。

「店に来たお客を盗人扱いする」とDRM批判派が少なくないマンガ・ファンの評判もよくなかった。価格は間もなく下げられたが、タイトル(とくに人気タイトル)の不足は慢性的だった。それ以上に驚くのは、モバイルへの対応が遅れに遅れたことだ。Android版は12年10月であり、ついにiOS版は登場しなかった。開発予算をつけなかった(あるいは事業計画の中にきちんと立てなかった)としか思えない。モバイルに対応せずに「電子」などあり得ない。

「DRMは購入者だけを痛めつける」ことを示す新しい事例になった、とThe Digital Readerのネイト・ホフェルダーは書いている(3/16)。海賊版はスキャンで広がり、ユーザーはファイルを失うことはないのに、きちんと払って「利用権」を入手したユーザーには何も残らない。ユーザーに厳しい制限を課しながら、自らは一片の通知で任意にサービスを中止できるという商法の正当性を論証することは常識的には不可能である。おそらくこうした事例は、コンテンツの再販売権訴訟の判決に影響を与えるだろう。いやそれ以前にユーザーからの訴訟が提起される可能性がある。これはGoogle Readerではない。多数のユーザーの権利を奪う、あまりに早い停止は、複数の訴因を想定させる。懲罰的損害賠償も怖い。これは日本が世界に発信したサイト・サービスだけに、一企業の問題ではない。災いを最小限にとどめることだけは忠告させていただく。 (鎌田、03/19/2013)

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