記事広告は希望の光か砂漠の蜃気楼か (♥)

thumb_up_down米国のワシントンポスト紙は3月5日、新たに「マーケッターと読者を安心できる環境でつなげる」BrandConnectという広告記事用プラットフォームを立ち上げた。記事はWPのホームページ上で「スポンサー提供記事 (Sponsor Generated Content)」という青枠の但し書き付で通常記事と混じって掲載される。こうした試みは米国の一般紙では最初のもので、オンライン・ニュースメディアが広告収入を得る「希望の光」として期待と注目を集めている。しかし、これはリスクが大きく、それに対する多重の防護装置を設計し、改善していく必要がある。[全文=会員]

リスク その1:紛争のビジネス化

BrandConnect紙の新聞では「全面広告」として記事風広告を掲載するが、これをオンラインで行っても読者はスルーしてしまうので一般のスペース広告、バナー広告よりインパクトは低いとされる。一般記事と記事広告を混在させるのは、メディアの中立性・正確性を疑わせるのでリスクがある。このディレンマはUIデザインだけは解決しない、ジャーナリズムの本流をもって任じる新聞社が一歩を踏み出すのは大事だった。スポンサード・コンテンツは、別名Native Advertisement(さらに古い業界用語ではAdvertorial)も呼ばれ、米国のジャーナリズム関係者の間で議論の的となっている。

ポスト紙の記事広告は、青枠の注意書を付けて一般記事と区別している。基本的にはマーケッターが作成して提供するが、ポスト紙の広告チームが協力する場合があるが、もちろん編集部は協力も関与もしない。最初の記事広告は、無線通信+インターネットの国際的団体CTIAが提供した「モバイルが活性化する農村経済」と題したビデオ付の比較的短いもので、ウェストバージニア大学が開発したMobile Main Streetというアプリを紹介したもの。リリースによれば、CTIAは毎週ブログ記事とビデオのケーススタディ、無線通信に関するインフォグラフィックを提供していくとしている。

CTIAの広告などは政治的、宗教的、市場的にまったく問題を生じないものだ。しかし、ワシントンポスト紙は少なくとも政治的には全米(したがって世界で)で最も影響の強いメディアの一つで、ここに記事広告を出したいのは、何よりもロビイストや外国政府、企業、団体だ。あらゆる対立が広告の源泉となる。現実に4年に一度の大統領選挙は米国メディアにとっての最大の収益源であり、そのためにわざわざ「接戦」「激論」が演出されるほどだ(合意や和解はカネにならない)。それによって民主・共和両党の支持者の間には感情的な対立が(専門家によって)意識的につくられる。メディアのマッチ・ポンプ式ビジネスが現代のアメリカの諸悪の根源(の一部)であることは明らかだ。

ポスト紙に少しでも問題が生じる記事広告が出れば、必ず反論が出され、Webの内外で(掲載紙ともども)叩かれることは目に見えている。記事広告での反論を誘うのであれば(論争を商品化する)メディアとしての見識を疑われる。問題は意見広告よりはるかに大きいだろう。もちろん、ポスト紙は掲載のガイドラインを設けてチェックするだろうが、掲載方針が本記事と同程度であれば掲載されるものは少なく(つまり儲けにならず)、緩ければ毎日問題を生産し続けることになる。

リスク その2:メディア・ジャーナリズムの空洞化

記事広告には、そうした直接的リスクのほかに、目に見えないリスクがある。儲かる仕事(広告)によってそうでない仕事(調査報道・中立的論説)が淘汰されるリスクだ。多くの関係者がこれを怖れている。報道を市場原理に任せるのは、救急医療を市場原理に任せるように危なすぎる。

MediaBrix-Misleading-Native-Ad-Types-Nov2012広告主からみて、記事広告は純広告より価値が高い。編集記事、寄稿などと混在した形であるほど、マーケティング価値は高くなるだろう。そうした記事は読者にとっても有用である場合が少なくない。例えばIT系の記事広告であれば、80%が一般の記事としても通用する客観的内容で、10%はやや一面的(我田引水的)内容、10%が宣伝的内容という具合に一定の幅で縞模様を描く。しかし、そうしたパターンは広告と抱き合わせの編集記事でも見られるから、むしろ記事広告と明示してあるほうが良心的と言えるだろう(図は、紛らわしい広告のタイプ。記事広告はビデオに次いで紛らわしいとされている=Harris Interactive)。

しかし、読者にとって有用な記事であっても、編集の姿勢によってはメディアとしてのバランスを失わせることがある。つまり「一面的な有用性」の記事ばかりになってしまう。ITで言えば、オープンソース系の技術などは、いかに重要でもスポンサーが付かないと記事にもならない。技術的なリテラシーが高い読者は去っていき、レベルの低下と部数の低下がスパイラルで進んでメディアが空洞化し、広告媒体としての価値も喪失するに至る。そうした例は無数にある。だから記事広告を嫌う人が多いのも理解できる。米国では多くの著名ジャーナリストがブログに走った。新聞が同じ轍を踏まない保証はない。記事とカネが向こうからやってくる記事広告と、読者から僅かなカネをかき集め、苦労して書く編集記事との間にはあまりの落差があり、見かけはそう違わない。

メディア空洞化へのセーフガード

ダウンロード記事と広告の境界を曖昧にしたものが記事広告の価値なのだが、それが腐ったリンゴのように記事やメディアの価値を棄損しないようにするには、多重の防護システムを構築するか、それとも読者からは購読料を貰わない無料メディアにしてしまうかしかない。雑誌『アトランティック』は今年1月、サイエントロジー教会(SF作家ロン・ハバードが創始した新興宗教)について書いた提灯記事がもとで批判を浴び、さらにスポンサー提供記事であることが分かって記事広告に関する論争に発展した。論点は現在のところ、以下を中心としている。

  •  記事広告はジャーナリズムにとって善か悪か
  •  記事広告の商業的価値はどのようなもので、それはどんな意味、作用を持つか
  •  記事広告がその商業的価値ゆえに危険であるとすればコントロールは可能か
  •  どのようなコントロール手段が有効かつ妥当か

アトランティック誌は記事を撤回し、広告についての指針を改訂した。これはこれで妥当なものだが、有効性、信頼性の担保といった点ではメディア自身のガイドラインでは十分でない可能性がある。個人や組織の「矜持」や「努力」は重要だが、そうしたものに頼ることは無意味だ。人間は過ちを犯す存在だし、目先のミッションを負った組織はさらに大きな過ちを犯す。出版業界、あるいは消費者団体などを含めた措置が検討されることになるだろうが、ミスや欠陥と同様、「許容可能な程度にまでリスクを低減する」システム論的アプローチが有効であると思われる。  (鎌田、03/11/2013)

参考記事

 

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