東南アジアがタブレット・メディアをリードする

thestar-1-1十日ほど前のことだが、PixelMagsを日本で販売しているソーシャル・エージェントの鹿島 功敬さんの紹介で、彼のパートナーである東南アジアの若き起業家、ジョン・フォン氏 (John Fong)と話す機会を得た。後半はビールを飲みながらの歓談だったので、話の記憶は泡のようになったが、会社のモットー(情熱)のとおり陽気で情熱的、現場の知恵と市場を観察する知性を兼ね備えた魅力的な人柄の印象は薄れない。多くを知り、多くを考えるきっかけを得た。

ジョン・フォン:アジア新世代のメディア・アーキテクト

ジョンはシリアス・グループ (Serious Group)という、メディア企業向けのITソリューション企業の創業CEOで、クアラルンプールを本拠に東南アジア(インドネシア、ヴェトナム、シンガポール、香港)に展開している。従業員は50名あまり。オーストラリアの名門クイーンズランド大学で学び、21世紀を前にした1999年、新聞向けのメディア・ソリューションを提供するイタリアのTera Digital Publishing(現在は英国のMiles 33の傘下)で編集・制作システムの開発を担当し、数年の経験を積んだ後、2004年に起業した。アドビやWoodWingなど様々なテクノロジー企業の環境やツールを使って個々のメディア企業が必要とするソリューションを構築するという仕事は一貫している。彼の強味は、インターネット時代のITとメディアビジネスを同程度に深く理解し、同時に各国のマーケット(つまりユーザー)に対する鋭い嗅覚を持ち合わせていることだと感じた。日本では、これらは同一の人間の中で共存しない。

じつは、日本にいて日本のメディアを見ている限り何も感じられないが、この10年の間に、技術的基盤を提供するメディア・ソリューションはほとんどその様相を変えた。つまり、新聞、雑誌、書籍、放送(TV、ラジオ…)などのメディアは、出自や背景を異にしながらも、すべて技術的、市場的な境界を持たない「デジタル出版」というものを相手とするようになったのである。コンテンツは同じで、市場(消費者+広告主)も同じ、基盤技術(情報+通信)も同じ。多くのメディア関係者は、なおそれぞれの生存圏が融合し、渾然一体となっている現実から目をそむけようとしているが、これを規定値あるいは大きな機会として動いている大小の企業は、もちろん少なくない。旧メディアがニッチとして残るかどうかは別として、少なくともそこにしか成長機会はないからだ。

東南アジアにおけるデジタルメディア

ジョンはこの転換期のメディアビジネスに、ITとマーケティングを武器に、東南アジアというダイナミックな成長市場で挑戦してきた。筆者から見て、これはじつに羨ましい。その一世代前にデジタル出版に関心を持った筆者は、CTSとDTPで停止し、紙や電波の枠から一歩も出ようとせず、「ニューメディア」とか「マルチメディア」「インターネット」を大小のガジェットとともにモテあそんで(もて余して)きた日本の現実に辟易して、この分野への関心を失っていたのだから。2000年代は、それ以前に完成していた技術を使い、「なんでもあり」のインターネットというグローバルな環境の中で、なんでもやれる環境が生まれていた。ジョンの顧客は、いずれも新しい生存圏でのサバイバルのための技術基盤を必要としている。目指すべきビジネスモデルは確実ではないが、技術的インフラはほぼ共通で明確だからだ。

kompas_ipad-1-1-1デジタル出版のインフラは何だろうか。活字印刷や放送技術、映画製作にあたる技術の体系はまだ確立していないが、それは別々の専門世界から別々のプロがアプローチしているためだ。単純に言って、それはコンテンツ・マネジメント・システム(CMS)だ。しかし、CMSはとても単純には言えるものではない。CMSと呼ばれるすべての製品や環境は、その一面しか扱っていない、いや扱えない。それは「コンテンツ」がユーザーにとって多種多様であり、管理すべきコンテクストも同様だからだ。それぞれの事業主体(あるいは個人)にはそれぞれに合ったCMSが必要だ。衣服と同様、自分とTPOに合ったものでなければ、とくに競争的環境には十分ではない。制服ではだめなのだ。ジョンのシリアスのようなソリューション企業は、ブティックとして顧客のためのデザインと実装を行い、運用をサポートする。

さて、ジョンがいま最も注力している市場はインドネシア。その理由を彼は、言論・出版の自由だと言う。経済成長、教育水準は知的向上心を刺激するに十分、消費生活は知的好奇心を刺激するに十分でも、出版の自由がなければ、メディアは冒険しない。企画や設備における競争が活発にならない。マレーシア、シンガポール、ベトナムは、その点でインドネシアに劣る。そして国土が大小の島嶼から成り、紙の出版の流通環境が悪いことも電子メディアには好適なのだ。例えば、と言ってジャカルタの二大新聞の拡販戦争の話をしてくれたのだが、まさに「インテリがつくってヤクザ売る」を地で行く。人口2000万人が住む大都市には名前もない通りと街区が無数にあり、そこを仕切るギャングの手を借りなければ配布も販売もできない。そこで死闘が、…というお話。なるほど、新聞(紙媒体)というものは、上は国家権力、下はヤクザという二種類の厄介な存在を相手にしなければならないわけだ。インターネット、とくにモバイルは、そうした地道な付き合いを最小限にしてくれるだろう。

デジタルメディアは活字の弱いところほど文化変容を加速する。ジョンはそれを商業写真の変化に感じ取っていた。デジカメで写真を始めた世代は、最新のテクニックの吸収が恐ろしく早い。デジタルメディアに接するメイクやスタイリストも同様だ。現像コストが壁だった時代には考えられなかったことだ。雑誌写真で比べてみると分かりやすいが、ヴェトナムのは1960年代の米国のものだ。おそらくアナログ時代の職人が管理しているのだろう。

参入の容易なモバイルメディアの成長力

ASEAN-10シリアスのカスタマーは、大別して新聞(ジャパン・タイムズも含む)とタブレット・メディアに分かれるが、高成長が期待できる市場は低コストで参入障壁が低い後者で、既製のメディア企業(新聞、雑誌、放送)だけではない。とくにラジオやTVなどからの進出が注目される。タブレット・メディアは放送と同じ速報性があり、活字も動画も入れられ、対話性もある。どんな広告でも入れられる。つまりクロスオーバー・メディアなのだが、活字系より放送系の動きが速いのは、活字系は「力の世界」で揉まれた叩き上げが経営を支配しているためだろう。ジョンによれば、大組織の人間は「他人のケツばかり見て前に立とうとしない」習性がある。

ジョンはジャカルタのラジオ局の例をデモ付きで話してくれたが、映像付雑誌は(活字系の「電子雑誌」と違って)まったく違和感を感じなかった。空間的・物理的な活字メディアと時間的な放送メディアは、運ぶ情報も手段も違うので接点が少ない。他方で、モバイルWeb上のメディアは、通信とデバイスだけで何にでも化けられる。日本のように活字と放送が持合いでない(つまり普通に競争状態にある)国の場合、どちらがタブレットに入りやすいだろうか。放送が活字を使って広告の世界を大きく広げられるのに対して、もともと購読料を取っている上に広告を刷って現金化している活字は、失うもののほうが多いと考える。だからといって何もやらない(滅亡を待つ)のか、というのは第三者の発想で、組織の人間としては話題にもしづらいのかも知れない。

モバイルメディアは(北東に比べて)東南アジアで大きく発展するだろうというのがジョンの見立てだが、筆者もそれに同意する。社会インフラの一部であった紙メディアの権威性という呪縛が人々のイメージを支配する日中韓などより自由だからだ。そして、東南アジアの成長力が今後も衰えないのであれば、むしろ日中韓の企業はこの地域のメディアに投資を続け、それとリンクしようとするだろう。汎アジア的メディア・ビジネスが現実になってくる。われわれは因習に囚われない東南アジアの熱気とパワーを必要としている。 (鎌田、03/18/2013)

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