日本の夜明けは遠い?『竜馬』電子版

ryoma4文藝春秋が司馬遼太郎『竜馬がゆく』全8巻の電子版刊行を開始する(→特設サイト)。総部数2,500万冊以上を売った「国民的」作品なので、価格と形態に注目していたが、文庫本と同じ8分冊で各660円(x8)。人によっては価格を気にしない方もいると思うが、5,280円はとくに青少年にとっていかにも重たい。すでに100億以上を売上げたと思われるメガタイトルに対して、紙とまったく同じ値付け、というのは国際的に見ても記録的だと思う。とりあえず、この価格設定の背景にある問題を考えてみたい。

50年前の古典の電子版に「文庫本と同じ価格」の妥当性

ryoma著者との間に電子版の出版に関する契約があったとは思われないので、電子版の契約は遺族が行ったということになるのだろう。印税契約とすると、定価×販売部数の10%、あるいは小売マージンを除いた版元の実売上の10%のうち、後者の可能性が強い。契約の期限も不明だが、とくに限定せずに自動延長かもしれない。版権の有効期限は2047年とまだ35年近くある。米国では、こうした作品の場合、著作権者はこんな気前のよい契約はせず、出版社のほうが多額のコミットメント(前渡金および/または期間内の最低販売部数の設定等)が必要となる。おそらく総額で10億の単位だろう(例えばアマゾンはイアン・フレミングエド・マクベインの版権を買い集めて出版している)。

つまり文藝春秋は、国際的に見て破格の条件で手に入れたことになるが、どれだけ換金できるだろう。すくなくとも5,280円という価格(定価)では1,000万部という単位の売上は見込めそうもない。時代が発掘した『蟹工船』ほど売れるかどうかも疑問だ。『竜馬』のヒーロー像は、敗戦後に改訂された「維新神話」の一部をなし、また『宮本武蔵』などとともに、日本的ビルトゥングスロマンにクロスしている。しかし、世代を越えて継承されていくためには、価格と体裁があまりに古臭い。

  1. なぜ文庫本全8巻をリパッケージしなかったのか。デジタルなので、例えば上中下の3点セットにすることも出来たし、全1巻にしたり、逆にシリアル形式で「毎週/隔週配信」として、イベント化することも出来た。
  2. 中年以上の愛読者と違って、若い世代は同じ背景情報(コンテクスト)を共有していない。将来の読者を維持するためにも、解説や年表、事典などを含めたり、原作者の龍馬/竜馬論を紹介したりする手間を惜しむべきではない。
  3. 文庫本と同じ価格は、(1)目いっぱいの(最高)価格、(2)紙に影響を与えない価格、など様々な読み方が考えられるが、売上を最大化したりというような「姑息」を排し、「無心」を貫いたということが出来るだろう。
  4. 古書では1冊百円以下もめずらしくない。8冊を1,000円以下で入手可能だし、図書館読むことも出来る。結局、この値段はリッチな年金世代や自己実現志向など、読者を限定しそうだ。

“メガタイトル”に相応しい扱いとは:世代間継承

筆者自身は司馬作品はあまり買わない。しかし、好き嫌いは別にしてマーケティングとして考えると、これはざらにはない素材だ。660円×8冊のような価格設定で可能性を摘み取ってしまうのは、あまりにもったいないと思う。例えば、以下のことを考慮する必要がある。

  • 読書という樹の「基幹」部分を形成してきた(「読むべき」もの)
  • 高度な社会性を持っている(江戸時代の太平記のように)
  • 戦後世代に共有されてきた(そのまま永久に続くわけではない)。
  • これを読むことで別の読書を誘発する刺激効果がある(作者、カテゴリー)
  • 映画・TV、マンガなどのメディア市場の要に位置する

かつての100億コンテンツを次世代、デジタル環境にどう移植・拡大させていくかというのは大きな課題だ。本来なら、業界として知恵を絞って取り組むべきテーマといえる。しかし、これを漫然と紙と同じ方法で販売することで、以下のような、この稀有な物語の可能性は狭められ、あるいは閉ざされる。

『ハリー・ポッター』の電子版を販売するために、著者は Pottermoreという専用サイトを構築したが、その目的は価格の管理よりも、読者とのコンタクトを確保すること、読者コミュニティのネットワーキングを提供することだった。そこから新商品の開発・販売にもつなげている。オンラインで完結させるのが嫌なら、書店を巻き込んでキャンペーンをすることも可能だし、紙の「ボックス版」や「愛蔵版」の予約販売とセットにすることもできる。

ryoma3『竜馬』の場合、最も重要なことは、可能な限り多くの若い世代に「完読=体験=共有」してもらうことだろう。そのためには、期間限定で第1巻と最終巻を無償にするのも効果的だ。最初の1、2巻で終わっては、あまりにもったいないではないか。この作品は多くの日本人にとって、世代別/世代間コミュニケーションのノードとして機能し、歴史を代用し、社会的な記憶の一部となってきた。その意味で「源平」「太平記」「戦国」とならぶ「維新」という「大きな物語」の要石だ。本を読むきっかけをつくり、さらに本を読む気にさせるコンテンツとして、それに相応しい扱いをすべきだと思う。少なくとも旧作電子版における出版社の責任は、純粋に出版プロジェクトのプロデューサーとして、原作の価値を最大化することなのだから。 (鎌田、06/11/2013)

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