iPad:21世紀の聖杯伝説

ipad_flower2010年にiPadが登場した時に出版界が狂喜したのは、一つにはアマゾンの独占を一気に破る本命が登場したと書籍関係者が考えたからであり、いま一つは、Webの無料情報に苦しめられていた雑誌業界が、安定したビジネスモデルを組み立てられると考えたからだった。いずれにしても答はiPadだった。

iPadは人々が期待した“デバイス”ではなかった

すこし前の商業メディアは、iPad賛美の記事で溢れていた。ユーフォリア(熱狂と陶酔)と言ってもいい。書籍におけるiPadがその後どうなったかは、本誌がしつこくフォローしてきたので、ここでは雑誌に絞ってみたい。

ipad_holygrailiPadは、たしかに新しいメディアデバイスのカテゴリをつくりだすほどの完成度を持っていた。iPod/iPhoneというベースがあったからだが、最初から完成度は高く、ユーザーのモードを超え、複雑なコンテクストをシンプルにこなすという、モバイルデバイスに期待されるものを持っている。もしこれがOEMで、Kindle Fire程度の価格で提供されたとしたら、他の選択肢が無意味に思えるほどだ。メディアも消費者も熱狂したのは無理もない。しかし、iPadは汎用のデバイスとしてではなく、アップル・オンラインストアの端末として、消費者に提供されるものだったのである。本誌が強調してきたように、これは雑誌(に限らず21世紀の)出版社にとって受け容れがたい。文明はいいが、植民地支配は困る。なんとか妥協を期待したが、アップルの態度は頑なだった。アマゾンより強気だった。すべての問題はそこに発すると言っていい。

日本人にはあまり理解できないかも知れないが、日本以外のほとんどの国で、雑誌はもともと定期購読中心の媒体で、購読者(=顧客情報)管理こそ雑誌ビジネスのエンジンである。雑誌社は21世紀のサービス化に必要なコンテクストを手にしており、それを活かせば、あらゆるデジタルメディアで展開できる。逆に顧客情報をアップルやアマゾンのようなストアに渡してしまえば、雑誌のビジネスモデルは崩壊する。広告主はメディアではなく、ストアを通じて消費者にアクセスし、ストアがメディアを管理するからだ。様々な情報ソースやクリエイターたちは、個性あるキュレーターとしての(媒体)を失って流動化し、広告サービスがFlipboard型の「仮想メディア」を組織化する可能性が強い。

アップルは雑誌を「ビジネス顧客」というより、たんなる「コンテンツ」として扱う。それはAKB48型の、置き換え可能な“非正規アイドル”のようなもので、個々のタイトルには拘らない。つまりレスペクトがない。数百、数千、数万の雑誌に数億人のアップルユーザーがアクセスするイメージ。あくまでアップルのユーザーで、情報はアップルが管理し、一人当たりの価値を最大化するのに使う。自動的に世界最大の広告企業になるだろう。もちろんGoogleも黙ってはいられない。

それぞれの聖杯を求めて

現在ネットビジネスの世界で戦われているのは、アップルを筆頭とし、メタメディアを目指す巨人たちの戦いだ。残念ながら雑誌を含めたメディアは主役ではない。巨人たちから見れば、ゲームや音楽、映画とおなじようなコマにすぎない。ウォルト・ディズニー、テッド・ターナーやルパート・マードックなど、20世紀のメディア・ビジネスは、並外れた欲望を持った、きわめて人間臭い巨星たちが躍動する世界だった。デジタルは体臭のない、ドライな、SF的ディストピア世界になるのだろうか。

holygrail2そうはならないだろう。それは比喩ではない、本当のメディア独占を意味するからだ。独禁法というダモクレスの剣は有効であり、アップルとて例外ではないことは、すでに書籍の価格をめぐる、アップルから見ればじつに“些細な”事件で証明されている。インターネットの3巨人が、コンテンツ、ストア、広告の3部門を支配することは法的に可能ではない。中国でさえ、それは政治的に無理だろう。メタメディア企業は共産党より強いものとなる。共産党が政治(利益配分)とビジネス(利益の最大化)を同時に行えば、自動的に共産党の崩壊につながる。それは誰にも分かっているはずだ。つまり、デジタルの覇権をめぐる戦いには独り勝ち(→ゲームオーバー)が可能であるために、逆に独占が困難なのだ。

顔を持ったメディアはまだ生き残る余地がある。それは幸いなことだ。様々な規模で発信されるメッセージと表現の多様性こそがメディアの生命であり、それが社会のダイナミズムを反映する。iPadとアップルの20世紀型(OS帝国主義)ビジネスモデルが不可分である以上、人々はiPadあるいはiPad的なものをイメージしつつ、自由なビジネスモデルを独自に構築できるテクノロジーを探し求める。それが新しい“聖杯”であり魔法の指環ということになるのだろう。(鎌田、12/19/2013)

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