古典翻刻出版へのアプローチ(♥)

200px-Benjamin_Jonson_by_Abraham_van_Blyenberch_retouched英国のケンブリッジ大学出版(CUP)は、17世紀エリザベス朝期の劇作家・詩人、ベン・ジョンソンのための専用Webサイトを立ち上げた。2012年に刊行された7巻本のコンテンツのほか、歌唱、舞踊、衣装、上演記録などそれを補完する様々な情報が提供されている。中心部分は有償で、研究機関や個人に対してアクセス権が提供される(料金は利用度数ベースのようだが詳細はCUPに問合せ)。[全文=会員]

有償オンラインサイトで「付加価値」を提供

BJ_online正式名称を The Cambridge Edition of the Works of Ben Jonson Online (CEWBJ) と称する本サイトは、検索可能な原本のほか、序文、交合、注釈、年譜、多様な刊本や関連文献が提供されているが、さらに多くの資料が準備中とのことで、なかにはジョンソンの蔵書カタログ、1617年にスコットランドのエディンバラまで徒歩旅行した際の日記など、研究上貴重な文献も含まれているという。出生・死亡登録、宮廷仮面劇のアーカイブ、それにまつわる収支計算書、同時代人の証言など、研究者には必須の資料も公開されるようだ。研究者のためのプラットフォームであると同時に、一般への啓発の役割を担うことも意図している。

古典の翻刻には大小様々な問題があり、完璧なものはあり得ず、様々な手稿、底本、刊本をもとに行われる。シェークスピアと同時代のベン・ジョンソンの場合も、綴りや読み方が同じではないので、現代人に読解可能な形で提供するための編集作業は膨大になる。CEWBJは、新旧スペリング版を独立させ、手稿の画像を含めて検索・対照・参照が可能になっている。もちろん、印刷本では不可能なことだ。さらに、戯曲は日本の歌舞伎と同様に、歌唱と舞踊、詩、仮面と衣装が重要な役割を果たす。CEWBJは、これらもカバーしていく。

BJ_worksCUPによれば、このオンライン版は、将来のスカラリー・エディションのためのデジタル基盤となるもの。底本を異にする種々の異本の扱い、学術的な厳密さと商品としての品質の両立などの具体的課題を解決しつつ、様々な目的での利用に供するという、古典の「出版」へのアプローチのモデル・ケースとなると思われる。すでに様々な形で商品化されているシェイクスピアはともかく、クリストファー・マーロウをはじめとする同時代演劇空間が再現されることが期待される。

イギリス・ルネサンス演劇は、フランス・バロック演劇や日本の江戸歌舞伎と同様、大きな広がりを持つと同時に現代との直接的な接点も多く、芸術・文化の重要な源泉だが、印刷版では言語芸術的側面しかカバーできない問題があった。CEWBJは、印刷版全集をオンライン版で補完することで、そうした問題を解決しようとしている。古典出版のビジネスモデルとしても注目される。

Masques古典作品は、基本的に過去の翻刻本のデジタル版が入手可能だ。ジョンソン作品もProject Gutenbergなどで入手できる。新たな有償版の意味は、より完全な翻刻・校訂ということだけでは必ずしも十分ではないだろう。CUPは、たんなるテキストではない、17世紀の演劇空間の再現ということをデジタルの付加価値として設定していると思われる。国立国会図書館・近代デジタルライブラリーにおける『大正新脩大蔵経』の公開をめぐる最近のやりとりは、日本の出版社の意識がまだ21世紀の現実と可能性に向き合うものとなっていないことを示している。古典出版において、復刻、翻刻は手段であって、その先に、時空を超えたコミュニケーションを構想すべき時にきている。(鎌田、01/30/2014)

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