英語圏に広がるソーシャル・リーディング/ライティング・プラットフォームのWattpadは1月6日、会員が1,800万人を超えたと発表した。毎日アップロードあるいは更新される作品も6万4,000を超えた。日本のケータイ小説とほぼ同時期に登場したが、こちらが早く商業化され、「ブーム」で終わったのに対して、Wattpadが「終わらない」理由は何だろうか。少しばかり考えてみた。[全文=♥会員]
コミュニティが支える「読書・創作・批評」環境
同サイトの発表では、ユーザーの53%は携帯電話を使って作品を書いたことがあり、Wattpadで費やす時間の85%は携帯電話かタブレットを使ってのものだという。ユーザーの多くはデスクに向かっている人ではない。だれもが日本の「ケータイ小説」を想起するだろう。
最近のヒット・ストーリー “The Kissing Booth” は1,900万回読まれ、これをもとに作者のベス・リークルが書いた中篇 "The Beach House" も220万回読まれた。セッションごとのサイト滞留時間は、平均で30分だった。2013年にアップロードされた作品は約2,000万点で、累計では3,220万点。つまり昨年は、創業以来の累計を上回ったことになる。ソーシャルメディアのパフォーマンスは、コメントや投票によるコネクションの数で計測されるが、Wattpadは5,300万のコネクションで3億のメッセージを生成した。英語圏以外にも広がりを見せており、提供言語は30以上という。
2006年に立上げたWattpad(カナダ、トロント市)は、会員の約半数を占める米国を中心に、英国、カナダ、フィリピン、オーストラリアを中心に成長を続けている。アマチュアの小説/物語投稿コミュニティを運営しており、ユーザーは自作の発表機会を得て、読者からのコメントを受けとり、やり取りすることができる。今日の自主出版の発展の背景には、表現意欲/能力を伸ばすことを重視する米国の教育の成果が感じられるが、読書教育では、読書・創作・批評のバランスが重視されているので、小説愛好家は同人的なコミュニティを形成しやすい。 Wattpadはこうした素地を生かして成長した。もちろん。投稿サイトにつきものの、無断掲載や剽窃などの弊害から免れてはいないが、これだけの規模のコミュニティとしてはよくコントロールされている。
育成を軽視し、収穫を急ぐ日本
日本のケータイ小説は、かつて欧米の注目を集めた。しかし、Wattpadがインターネット上の無料投稿環境を基本としたコミュニティ/コミュニケーション指向であったのに対し、日本のそれは「ケータイ」環境に制約され、しかもいきなり印刷による通常出版で投資を回収するという無理なビジネスモデルだったために大規模化に耐えられなかった。欧米の出版関係者が発展性はないと判断したのはそのためだ。Wattpadは最初から「ソーシャル」というWeb 2.0のパラダイムを意識していた。
コミュニティをベースとした投稿環境は、メインストリームからの酷評にも屈せず、ついに大出版社が膝を屈するような人気作家を輩出するまでになった。日本のビジネスが性急にキャッシュを追求して未熟な段階で収穫を追求するのに対して、Wattpadは逆のアプローチである。高校野球の投手やゴルファーの石川遼などをみていても感じるのだが、どうも日本のメディアあるいは「大人」は、若者に残酷なのではないかと思う。
Wattpadはなかなかつくれるものではないが、こうした環境はマンガの新人を育てるのに理想的だと思われる。いきなりリスクの大きい雑誌という環境で潰される可能性は最小化できる。デビューする時には一定のファンがついているので、失敗して出版社に見捨てられても読者が支えてくれるからだ。新人は放っておいて湧いてくるものではない。ケータイ小説を焼き畑にした出版ビジネスは、商業出版での「小説」の敷居を極端に低くすることで、文芸ジャンルをも焼き畑化しているようだ。◆(鎌田、01/09/2014)