バルセロナで開催される世界最大のモバイル・イベントMWC 2014で2月24日、Firefox OSデバイスに関する発表があり、「25ドルスマートフォン」のプロトタイプがデビューした。本誌では幻のwebOSやWindows 8以来、OSのことは久しく取り上げていないが、中期的に市場の構造を一変する可能性があるだけに予備的に検討しておきたい。
$25スマートフォン/$50タブレットの衝撃
今回の発表は、25ドルをスタートラインとするスマートフォンOne Touch Fireを目玉に持ってきた。中国のモバイル・チップセット・デザイナーの Spreadtrum社が、3種類の ARM Cortex A5ベースのハードウェアを設計し、アルカテル、ZTEなどが販売する。前者は1.2GHzのクアッドコアの4.5型(960x540)のSタイプと1.2GHzのデュアルコアの3.5型(480x320)のCタイプ。メモリ構成も256から1024MBまで対応。また7型と10型のタブレットもある。スマートフォンで25ドルから、タブレットで50ドルからというあたりか。
モバイル市場はAndroidとiOSが激しく争い、Windows 8も加わってとても入り込む余地がありそうには見えない。しかしこれはビジネスモデルと価格を固定した場合で、制約を外せばいくらでも市場はつくられる。むしろそちらが正攻法で、ハイスペックだ、高付加価値だ、デザインだ、といった方向はほとんどが失敗する。モバイルデバイスの場合は低価格あるいはそれとビジネスモデルの組合せ、という答ははっきりしているので、あとはアプローチとタイミングということになる。技術的にはオープンソースの Web系OSという方向がほぼ正解(ほかに見当たらない)。ビジネスモデル的には、通信、小売、出版、教育、情報といった複数の分野の一つ(または全部)でサービスを開発することになる。
モバイルデバイスが50ドル以下(U50)となることで、とくに出版に関連して何が可能になるか。簡単に言うと(そうしか見えないとしても)これはたんなる「貧乏人のiPhone/iPad」ではない。明らかに別のカテゴリーのもので、インパクトも違ったものとなるだろう。モータリゼーションにおける初代メルセデスとT型フォードに対応する。量質転化の法則によって、後者は世界人口の多数(90%)を占める人々の文化的生活のインフラを形成し、革命的な変化をもたらすことになる。それは出版と不可分に結びついている。どういうことか。
簡単に言うと(いずれは)世界人口の多数は、近代(グーテンベルク・パラダイム)を飛び越えてデジタルでで読み書きを学び、タブレットやスマートフォンで本や新聞を読み(時には)買うということだ。数十億の人のために印刷本を供給する体制は(資源制約や経済性から)永久にできない。製紙工場、印刷工場、輸送基盤、書店…と、近代出版は(20世紀的意味で)高度に発達した社会基盤を必要とするが、それを追いかけるには途方もない資金が必要だからだ。近代的な「知へのアクセス」は途方もないピラミッド(格差)の上に成り立っている。それは民主主義をパロディに変えるほどのものだ。U25マートフォン、U50タブレットは、無償電子教科書や Project Gutenberg、ビデオ講義ライブラリなどとともに、21世紀の知識情報インフラの一部となるだろう。
量が質に転化し、ビジネスモデルが変わる
10億単位の新しい読者(市場)が、これからの20年で生まれる。彼らにアクセスする手段は書店ではなくネットしかない。そして彼らはネットを使い、(ローカルな公権力によって制約を受けない限り)国境を越えてコンテンツやサービスにアクセスする。新しい市場の登場によって出版ビジネスの風景は一変するだろう。もちろん富裕層や伝統的知識階層は紙の本を好み、20世紀以前に出版された印刷本のコレクションを自慢するだろうが、印刷本は中心的なフォーマットではない。
Firefox OSは、2011年にMozilla Corporationが発表したオープンソースOS構想 (コードネーム Boot to Gecko)にルーツを持つ。GeckoはFirefox で使われているHTMLレンダリング・エンジンなので、これをLinuxで動かす環境という意味だろう。特徴は、限りなくHTMLに近いこと。Webアプリだけが動作し、iOSやAndroidなどのOSネイティブ・アプリは動作しないが、Webアプリであれば動作するので互換性の問題はほとんど生じない。最大のメリットは、デバイスが安く出来ること。但し、W3CのOpen Web Platform (OWP)に準拠したオープンソースであることは、メリットであると同時に制約にもなる。つまり、EPUB3と同じで、アプリの使用感は、HTML5、CSS3、JavaScriptといった標準の“成熟度”に依存し、場合によっては(以前は)iOSデバイスのようなハイスペック・デバイスとは似ても似つかないものになっていた。
Webプラットフォームのデバイス実装は、Webを真のプラットフォームとすることになる。それによって、独自OSの地位は相対的に低くなっていくことも間違いない。それはWebサーバソフトウェアのApache (1999創立)や、データベースにおけるSQL (1986)と同じようなものだ。前者はメーカーの有償製品に劣り、後者はオープンソースでは実装不可能と思われたが、前者はかなり急速に、後者は徐々に普及した。WebのCMSのWordPressを加えることが出来る。Firefox OSが Web OSのデフォルトになるかどうかは不明だが、その可能性はかなり高くなってきた。
では上述したような背景のもとに、Web(ブラウザ)が(iOSやAndroid、Windows、Kindle OSなどを介さずに)プラットフォームになるとすれば、メディアの世界はどうなるか。
それは既存のプラットフォームを利用しなくても、あるいはOSやデバイスをわざわざつくらなくても自前のサービス・プラットフォームが構築できるということだ。アマゾン、アップルやGoogleはアプリ内決済(IAP)サービス利用料金(マージン)を下げる必要が出てくるだろう。ストアを自前で運営しやすくなり、直販が一般化するだろう。デバイス・プラットフォームはそれ自体の付加価値を主張できなくなり、手数料は販売実績を反映することになる。出版社は(もし著者との良好な関係を保てればの話だが)、ストアに対して現在よりも相対的に強い立場に立つことが出来る。
そうなるのがいつになるか。遅くとも2020年にはなっていると思う。◆(02/26/2014)