「ポスト電書」の戦略を考える

smile「空気の国」日本のトレードショウは、商談の場というより、を集め、次に向けて放出する場のようなもので、その意味では祭りに似ている。だが、7月にしては冷たい雨の中で、出版・デジタル・Webの気を集めてきた東京国際ブックフェアは閉幕し、ひとつの時代(20年あまり)が終わった。気が十分に集まらなくなったためである。原因は何か、新たな出版の気はどこから生まれるのか。

そして誰もいなくなった:メーカーと出版社

ちょうど電子書籍市場が前年比35%増の1300億円に達したと発表され、衰退を続ける出版を救うものとなるか、という時に「電子」の灯が消えることになったことに驚かれる人も多いだろう。簡単に言えば、気が一部に滞留してしまったということだ。一人勝ちしたのはマンガとアマゾン。1300億円の8割がマンガ、ストアの6割がアマゾンとみられている。そして国産デバイスはほとんどゼロ。

「電書」は2012年がクライマックスだった。家電・エレクトロニクスはまだ健在で、出版関連業界も、いまほど絶望的ではなく、「官民一致」の後押しを受け、なんとなくポジティブな気を感じていた。なんとなく思い出していただけるだろう。その後、気は散じるばかりで集まらず、ついに「電子出版」は今年で最後になったことは先週述べた通り(6/25「ブックフェアの『死』と再生」)。筆者は、業界の非現実的な「電書」への思い込みを反映したこのイベントの問題を指摘し続けてきたが、目立って気の衰えを感じた昨年には、ほぼ限界と思われた。

smile-curve1どこに問題があったのだろうか。まずは「メーカー」に期待したことだ。日本のビジネスモデル(垂直統合)の優位は、21世紀に入ると、そのままでは通用しなくなっていた。バリューチェーン(価値連鎖)の両端が持ち上がる、いわゆるスマイルカーブ現象。左の図で、デザインとサービスの両端付加価値が高くなり、真ん中の組立てが下がるということだが、重要なことは、サービスがデザインに接近し、エンジニアリングとして統合されているということだ。ピラミッドの頂点に胡坐をかいてきたメーカーも出版社も、両端を軽視し、一貫させる(最適化)ことに不熱心だった。気が塞がり、人を集められなくなった。(左の図はスタン・シー氏による)

デザインとサービスが出版を蘇らせる

アップルがiPhoneで行ったことは、たんなる意匠の「デザイン」などではない。デザイン革命というべきものだ。日本メーカーは、そのことを理解し、キャッチアップすべきだった。アマゾンは、アップルとは逆に、サービスにおける優位を背景にデザインを最適化した。日本メーカーは、iPadのようなタブレット、KindleのようなE-Readerをつくろうとしたが、それは似て非なるものにしかならなかった。部品調達や製造はもちろん、ビジネスモデルやサービス・プラットフォームまでが一貫して(ひとつのシステムとして)デザインされていないものでは、太刀打ちが出来ない。アップルやアマゾンのブランドが巨大な気を集めることに成功しているのは、そのように計画・管理されているからなのだ。

smile2出版業界も、デザインとサービスというスマイルカーブを理解できなかった。日本の「ものづくり」の優位を素朴に信じたメーカーと同様に、出版は「コンテンツ」が王になるという伝説を信じた。そしてデザインとサービスを軽視し続けた。出版におけるデザインとは、何よりも、新しいものを生み出す企画であり、サービスとは読者とのコミュニケーションである。デジタルを使えば、これまでできなかったことが出来る。それによって熱気を生み出すことに取組むべきだった。しかし、出版業界はいつまでも、臆病で緩慢な「裸の王様」を演じ続けた。

活字・印刷技術の進化とともに新しい出版の可能性を形にし、読者を熱狂させ、知的興奮を与えてきた名編集者・大出版者たちがつくった出版社は、デジタル時代に求められる創造性を失っていた。やりたいことが何もないように思えた。やる気のなさは読者に伝わららないとでも考えていたのだろうか。この3年間、出版社が自力で結果を残したことはマンガの電子化だけといって過言でない。このうえ「デジタル著作権」を失わないために、アリバイ訳的なPDFを制作し、売れない価格を付けて死蔵するといったことでもやると、出版の死期を早めることでは済まない。

20世紀のビジネスモデルは、メーカーと出版社が優位にあり、産業の主宰者であった。21世紀の出版(メディア)ビジネスの基本要素は、デザインとサービスとコンテンツであり、必ずしも企業であるとはいえない。「熱気」を生み出し続けるものが出版なのだ。 (鎌田、07/07/2015)

Scroll Up