一瞬で消えた日本的流通の「結界」

kinokuniya紀伊国屋書店が8月21日、「インターネット書店への対抗策」として、村上春樹氏の著書の初版10万冊の9割を出版社から直接買い取り、自社店舗のほか他社の書店に限定して供給する、と発表したことは、日本の書籍流通における歴史に画期を成す出来事と言える。それは栗田出版販売の倒産に続く、日本的流通の自壊における里程標を示すものだ。

紀伊國屋書店の「宮廷クーデター」

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俗受けする衣装を纏ってはいるが「敵」がアマゾンでなく、取次制であることは明白だ。紀伊國屋は取次不要を宣言したのだ。それが「今回のような儲かりそうな本に関しては」という商売優先の限定付なのか、それとも「日本にはもはやそうしたものは不要である」という新秩序のビジョンをもったものかは分からない。たぶん同じことだろう。

第1に、これは大手書店が(既存の取次をスルーして)DNP=大手印刷会社と組んで買切り・直仕入を行い、他の書店への再販売も行うというビジネスモデルであり、爆買いと同じく、もちろん違法ではないが従来はタブーとされていたことである。

第2に、「掟破り」に書店が参入したことは、中小書店の没落、印刷会社、大手取次による書店チェーンの買収、版元とアマゾンとの直取引の拡大などによって空洞化していた体制の崩壊を告げるものだ。書籍は「買切り・直仕入」に移行する。もちろん「定価」は無意味化する。

第3に、市場システムへの移行は、ある意味では正常化だが、ソ連邦の崩壊がそうであったように、大きな混乱をもたらすだろう。出版社、流通、書店、印刷という伝統的なステークホルダーに加えて、内外のメディア企業やファンドも参加した再編が不可避である。

第4に、インターネット書店=アマゾンへの対抗というのは「名分」であり、人気作家を買切りして優位に立つことが本旨である。紀伊國屋+DNPに続いて、業界大手はすべてこれに倣うことになる。この事態をアマゾンが歓迎することは言うまでもない。

第5に、再販制という集団催眠的システムの崩壊は、アマゾンによるものではなく、その重みに耐えかねた当事者自身が手を下したことで起きたものだ。感情的になることは意味がない。「社会的意義」あるいは「事業的成長性」を確信する出版人は、新しいルールと戦術、トレーニングを学び、適応すべきだ。

流通戦国時代が始まった

torii2ようするに、これはある大手書店が始めたサバイバルゲームであって、喧伝しようとしているような「リアル書店とオンライン書店との戦い」とは別のものだ。べつにアマゾンが買占めの脅威を書店に与えていたわけではない。アマゾンの脅威は相対的な「需要独占の脅威」であって絶対的な「供給独占」の脅威ではなかった。しかし、これからはその可能性がある。大手書店が守らないルールは、アマゾンや出版社も守らないだろうから。

体制の崩壊を意味するこの決定において、紀伊國屋には再販制の改廃も必要なければ、「解釈の変更」すら必要なかった。ただ無視するだけでよかったのである。体制の崩壊は、べつに革命派や占領軍が支配することではない。そうしたことはむしろ稀だ。確実に起こることは、強い者によってルールが変更され、旧い価値の体系が混乱し、ゲームがリセットされるということ。混乱の中で失う者もいれば、その逆もいる。失われるものもあれば、その逆もあるということだ。 (鎌田、08/27/2015)

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