サンフランシスコのクラウド型出版社Inkshares Publishingは、出版点数を拡大し、発行のテンポを加速すべく、10月30日からプラットフォームを変更すると発表した。資金の調達と償還 (credit)の方法を改訂するもので、従来からのプロジェクトの顧客は新旧いずれかの方式を選択できる。在来型出版の拡張とも言うべきモデルだが、徐々に独自色をだしていくと思われる。
地道な出版と出版ビジネスの間
Inksharesは、いまや出版における最大の障害となった資金調達(基本的には、制作費より著者の生活資金と思われる)問題を解決するためにスタートした、“ビジネスモデル開拓型出版社”である。「読者(コミュニティ)が導く出版社」を志向し、コンテンツと出版への読者のエンゲージメントで出版活動を回していくことを目ざしている。クレジットのシステムは、予約以外のオプションとして今年3月に導入したもので、ファンディングの性格を「予約/前金」から出版プロジェクトへの「投資」へと半歩ほど進めたものだった。
著者の意見を取り入れて決めたというプログラムは、かなりきめ細かい。具体的には、(1)E-Bookのみ、という選択肢は撤廃、(2)予約目標を達成した著者をサンフランシスコに招待し、後援者へのサイン会を開催、(3)ペーパーバックの予約価格は最高20ドル、ハードカバーは同30ドル、グラフィック本は同50ドル、(4)最低予約目標は一律に750部(以前は1,000部)、(5)発送料は米国内無料、国外は15ドル、(6)250部まで達したら編集・流通を軽めにした「軽便出版」オプションが選択可能。また、後援者に提供されるクレジットでは、(1) 5ドルでInkshares会員、(2)さらに5ドルでプロジェクトのファースト・レビュー、(3)10ドルで対象書籍の引換え、(4)10ドルで2,000部以上、さらに10ドルで5,000部以上の予約を受けた場合の償還、となっている。
Inksharesは2013年4月の創業で、同年12月に31.5万ドルのシードマネーを得、翌年6月にY Combinatorなどから86.5万ドルの資金を調達してサービスを開始した。著者:版元の版権配分は、印刷本に関しては粗利益に対して50:50、E-Bookに対しては同じく70:30としている。後者の場合、ストアの手数料が30%とすると、著者の実質取り分は50%、版元は20%ほどになる。このあたりも標準的なものだろう。そして今回から「E-Bookのみ」というオプションを外したが、これは少なくとも出資者に対して形のないコンテンツを渡しても価値を訴求できないということなのだろう。
Inksharesの現在のタイトル数はアマゾンで販売しているもので50点。1年としては悪くないが事業的なスケールとしては足りない。メディアでは映画やTVのシナリオなどで知られるプロのライターが利用するケースなどが紹介されている (WSJ, 02/07/2015)。出版社はフィクションとしての完成度を求めるので、映像化を想定する著者の意図との折り合いが難しい。そうした場合に、著者は自分でプロジェクトをコントロールできる出版方法を選ぶ、ということだ。ある程度の知名度があれば、750人分の予約をクリアするのはさほど難しくないだろう。逆にInksharesが事業を拡大させるためには、あまり知名度のないライターの作品にファンディングを集める過程で、一般読者からの参加を確保できるかということだろう。
クラウド出版は、どの段階にクラウドを用いるかでかなり性格が違ったものとなる。Wattpadは「創作段階」の支援環境で著者と読者をつなげ、Kindle Scoutは出版に値する作品を評価するもの、Inksharesは、出版資金の調達を最低目標にしている。事業性が最も高いのはKSで、これが先に軌道に乗ったのは当然だろう。Wattpadは、巨大化することで時価総額は膨らんだが、収益化は簡単ではない。それらに対して資金調達モデルは、リスクは低いもののかなり地道なものになりそうで、大きな成功を求めるベンチャー資金の投資先としては物足りない。Inksharesは、徐々に「地道」から脱するステップに入ったと思われる。◆ (鎌田、10/27/2015)