アマゾン出版は11月2日、文芸フィクション・ブランド Little Aを通じて Little A Poetry Contest という懸賞イベントを立上げ、募集を開始した。12月20日に締め切られ、有名詩人3人による審査を経て来年春に結果発表。出版は2017年春を予定している。最もビジネスから遠いと考えられているこの分野にアマゾンが力を入れる意味を考えてみた。[全文=♥会員]
アマゾン出版が懸賞詩作コンテストを主催
このイベント(以下LAPC)は、新進詩人の発掘を目的としている。コーネリアス・イーディ (Cornelius Eady)、ジェリコー・ブラウン (Jericho Brown)、キミコ・ハーン (Kimiko Hahn)の3氏が審査員となり、詩作の質、独創性と力強さ、言語的創造性を総合評価する。勝者には5,000ドルの賞金と、2,000ドルの出版手付金が与えられ、詩人のモーガン・パーカー氏が編集にあたる。刊行はペーパーバックとE-Bookで行われる。
Little Aのデヴィッド・ブラム編集兼発行人はThe Village Voiceの編集長などを経験したノン・フィクション作家/大学教授で、アマゾンではKindle Singlesシリーズを手掛けた。「新しい文学的才能を発掘するLittle Aの活動の一つとして、私たちは新進詩人とその作品を迎える家となることにしました。作品提出の呼びかけを通じて、新鮮で活発な詩集のショーケースへと発展することを期待しています。」とコメントしている。
応募資格は一巻本の詩集(チャップ・ブックは含まず)を1冊以上刊行していない英語詩人で、米国在住者。現在刊行本を1冊も持っていなくても、自主出版すればよいのだろう。原稿は60~100ページ(表紙、略歴等を含む)。応募はWordまたはPDFのメール添付ファイルで、ということになっている。それにしても、出版が2017年というのには驚く。詩の編集には300ページの本と同じ労力が必要ということのようだ。
詩を制する者が出版の正統な王となる!?
詩は言語文化の源泉であり中心にあるべきものだ。近代以降の出版においてしだいに影が薄れていった理由はいくつも考えられるが、声(音)から活字(紙)へと言語活動の舞台が移行したことによる。詩はまとまらなければ本にならず、本になるのは、古典やまとまった詩集に限られる。つまりは誕生から時を経たものでなければ出版のレールに載らない。かつて詩が活字になる場は雑誌だったが、これも読者が縮小するとともにビジネスから外れてしまった。
アマゾンという会社は出版界が軽視あるいは放棄した分野を積極的に開拓し、少なくともビジネスとして再生し、稼働させる、出版社からみると嫌なところがあり、デジタル時代の新しい合理性を発見して成功させている(翻訳がその代表)。いわば道徳的に大出版社の最も痛いところ(儲け至上主義)を衝いているだけでなく、経営的な無能力をも晒すことで出版におけるパラダイムの転換を実証しようという戦略的意図がある、と筆者は考えている。成功すれば影響ははかり知れないものがあるだろう。近代を主導した出版社は、書店とともに、今日にあってなお「知的道徳的ヘゲモニー」の残像を纏っており、それが「反アマゾン」を正当化させる根拠となっている。アマゾンはそれを偏見として正面から対決することを避け、代わりに合理的なソリューションを考えたのだと思われる。
してみると、コンテストの意味するところは重い。最もビジネス化が難しい(しかし文化的には重要な)分野を出版ビジネスにおいて再生させる。詩は強いメッセージを発信する。デジタル時代にあっては、詩はページ数や造本・装幀、書店の棚だけでなく、紙というメディアからも自由なので、朗唱、音曲、映像、SNS、あるいはゲームなどを通じて、様々に「刺さる」可能性を持っている。LAPC はそうした仕掛けの一つであり、伝統的出版社が注目し警戒すべきものだろう。出版にとってのサバイバルとは、ビジネスの継続ではなく出版文化の継承・発展であるとすれば、この「戦略的」分野を放置すべきではないだろう。◆ (鎌田、11/05/2015)