学術印刷本の危機:(1)いま米国では

scholarly_books学術書(scholarly book)の印刷版市場の崩壊が米国で大きな問題となっている。価格の高騰と部数の減少は、少なくとも経済的に持続可能な水準を割っている。学術書出版は研究活動の重要な一部であり、消滅することがない以上、新しいビジネスモデルのもとで再構築されることは確実なのだが、その方向はまだ見えていない。

30年で価格は5-10倍、部数は5-10分の1 !?

カリフォルニア大学マーセド校図書館のドナルド・バークレイ副館長が「印刷版学術書の死とその先に来るもの」という、注目すべき一文を The Conversationに寄稿した。長く印刷に依存し、有力な販売チャネルも市場も持たないが故に注目されることもなく、静かに死期を迎えるまでになった学術書については筆者も気になっている。問題は、「デジタル主体の学術書流通とそのビジネスモデル」ということに尽きると思われるが、バークレイ氏の問題提起をもとに、まったく同じ状況にある日本の学術書・専門書出版の移行について考えてみたいと思う。

学術書は印刷本がなお重要な意味を持つ。それは理系も文系もあまり違いはないし、印刷本の価格が採算基準になる以上、E-Bookの価格は安くはならない。ちょうど日本の出版市場のように、毎年減少を続ける市場を、価格×部数の縮小均衡でしのぎつつ現実を忘れる、といったところがある。

人文書の代表的分野の一つである歴史学を例にとると、1980年当時、出版社は2,000部の販売を期待できたが、1990年にはそれが500部、2005年には全世界で200部といった有様。もちろん価格は高騰する。1980年当時にはハードカバーの平均価格は$22.78だったが、2010年には3.62倍の$82.65になっている。宗教学では1980年の$17.61が同じく2010年に$80.88、教育学ではなんと$17.01が$177.59と10倍になった。歴史学の場合、平均の市場規模は$45,560→$16,530と3分の1に近く、製作コストも回収困難だ。200部というのはPoDのスケールだろう。学術書の価格は1980年代以降、暴騰といってもよい状態だが、これは公的な補助金が打切られたのが原因だ。

学術書の没落とその影響:出版の空洞化

学術出版の凋落の最大の原因は、大学図書館の購買力低下(予算縮小)である。かつて2,000部あまりの市場を支えてきた大学図書館は学術書(とくに印刷本)の最大顧客だった。公的支援、寄付金の減少、そしてSTEM(理数医系)を中心とした学術雑誌購読料の高騰に直面した図書館は、理数医系優先を打ち出したので、人文系が最も圧迫を強く受けた。大ざっぱな数字としては、1980年には学術雑誌購読と書籍購入の予算は50:50でバランスしていたが、2011年には75:25と、後者が減少した。学術書の貸出利用は半数に留まると言われ、利用率の低さも図書館の購入縮小につながっている。

市場の縮小が出版タイトルの偏りにつながることは、私たちも経験している。「学術」書でありながら、出版社や編集者は「売れそうな」テーマを意識せざるを得なくなり、未踏の分野は避ける。すると学術書には価値ある(あるいは読みごたえがある)研究書が減り、ネット上の無料情報に接近していくという悪循環に陥る。読書には「他人が読むものだから」という動機と「自分で発見したい」という動機とがバランスしていることが重要で、前者を意識した出版ばかりになると、テーマ/タイトルのエコシステムを築けずに次のテーマに移行する“焼畑農業”のようなことになる。学術書は一般書、フィクションを育てるという意味で、重要な役割を担っている。歴史研究は歴史小説に、物理学や計算機科学はSFに、心理学は推理小説にインスピレーションを与えてきたし、優れた著者や編集者は、学術書から多くを得る方法を知っている。

学術書出版は出版エコシステムの重要なインフラであり、それがビジネスとして存続できない状態では、出版活動全体の健全性、成長性を担保できないばかりか、社会活動にも支障をきたす。もはや印刷本中心のモデルの存続は不可能であり、デジタル中心の再構築を考えるしかない。(つづく) (鎌田、11/17/2015)

注記

  • 学術出版についてはWikipediaの英文および日本語の解説を参照。英語版の学術コミュニケーション(Scholarly communication)の解説は問題背景を理解するのに便利。

Comments

  1. 日本の学術出版社の深刻な事実。指定教科書をあまり学生が買わないという事象以上に、ここへ来て専門書出版社が頭を悩ましているのは、教科書を指定しない授業・科目の増大だ。
    教科書、啓蒙書はどこへ行った デジタル化時代の専門書出版(3) | ちえのたね|詩想舎 http://society-zero.com/chienotane/archives/3058

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