学術印刷本の危機:(2)オープンアクセスの未来(♥)

access-logo2百部単位の印刷本が学術出版を支えられないことは自明だ。そしてその先は、商業出版のコピーではないオープンアクセス・モデルを基本としたものとなるだろう。まだ輪郭は明確ではないが、米国では大学出版局を中心とした取組みが始まっており、遠からず大学自体の競争力要素としても重視されるようになるだろう。[全文=会員]

印刷/販売からデジタル/アクセスへの転換

カリフォルニア大学マーセド校のドナルド・バークレー副館長の問題提起を紹介しているが、彼はこれまで辛うじて支えてきた大学図書館の予算縮小、理系重視政策によって絶滅寸前に陥った学術出版が、デジタル中心に転換することで再生が可能であると言う。デジタルへの転換は従来のような印刷出版の補助的なものではなく、それらとは一線を画す(disruptiveな)ものとなる。

日本では、「図書館貸出が出版を殺す」といった、大手出版社や人気作家のヒステリーが報道されているが、5,000部(あるいは2,000部以下)の本が圧倒的多数を占める通常の出版活動において、図書館が最大の買い手であることは少なくない。出版活動と読書空間の両面において図書館が果たしてきた役割は非常に大きかった。

学術出版において大学図書館が「最後の買い手」にならないとすれば、もともと書店ルートが限られる出版活動は成り立たない。出版が出来なければ、研究者が社会的に地位を得る方法もなくなる。論文は研究コミュニティの中で知名度を上げることはできても、外の社会での評価とは結びつかないからだ。すると、編集者が「売れそうな」原稿に絞ろうとするように、研究者のほうも、「出版可能な」研究対象を選択するようになるのは避けられない。その結果は言うまでもないだろう。市場は偉大な研究や創作とは無関係である。それはともかく、出版や研究のような、多様性を生存条件とするエコな世界では、「選択と集中」は死のスパイラルを意味するのである。

印刷本の終わりは学術出版の終わりを意味しない。出版はコミュニケーション活動の一部であり、印刷物だけがメディアではない。複製と配布のコストが極小なデジタル・メディアは普及を拡大している。これを使って研究テーマの社会的認知を獲得し、読者を育てることも出来るし、PoDで印刷費を読者負担にすることも出来る。バークレイ氏によれば、主要な学術出版社は経済モデルの転換のために必要な措置を講じているという。デジタル転換の本質は以下の2点だ。

  • 印刷からデジタルへの活動基盤の転換
  • 図書館への販売からオープンアクセスへのターゲットの転換

カリフォルニア大学出版局(UCP)はこの10月、Luminosプロジェクトの最初の5点を刊行した。これらは十分な査読を受け、専門の編集者によって編集された学術書だが、オープンアクセスのE-BookでPoDのオプションもある。こうしたオープンアクセス・モデルは、オハイオ州立大学出版ペンシルヴェニア大学ロマンス語研究アマースト・カレッジ出版オーストラリア国立大学(ANU)出版デ・グリュイター・オープンなどによって採用されている。(下の図はUCP/Luminosの出版モデル)

Luminos publishing diagram

オープンアクセスの経済モデルの構築

オープンアクセス・モデルは、印刷物の販売を通して費用を回収するのでなく、公的な発行者が(主に編集コストを)負担することが基本になっているが、背景にあるのは、学術出版物はアクセス=利用されることで社会的価値を増すという考え方だ。大学間の競争で出版活動とその利用数、被引用数が重視されれば、学術出版はコストではなく投資になり、公的資金や民間の寄付金を集める上での指標にもなる。わずか数百人の読者から百ドルづつを得るというのは、ハイレベルの知識集約的作業のアウトプットとして、あまりにも問題が多い。そもそも学術出版を商業出版と同じ方法で行っていたこと自体に無理があったと考えるべきだろう。

章ごとに再編集して大学のコース教材に無償で再利用することも出来る。それによって大学や学生がより大きな費用負担を回避できれば、販売によるよりも遥かに大きな経済的価値を生んだと考えることが出来る。デジタル出版のメリットの一つは、ページ数やサイズ、カラーの使用などの物理的制約を受けないことだが、これは学術分野ほど価値が高い。デジタル時代の編集技術はまだ未開拓な部分が多いが、学術書はそれを実験・評価を得るに最適な素材である。

バークレイ氏は、オープンアクセス・モデルの優位を強調しながらも、これが学術出版の主流として普及することを楽観しているわけではない。彼自身の経験では、学部の幹部教授ほどデジタル出版への不信が強い傾向があるという。著者またはその所属機関が出版費用を肩代わりしたりすれば、虚栄出版を横行させるだけだ、という人もおり、彼らは学位商法や剽窃の横行といった学界の弊風と横並びに考えている。それに対して同氏は、正当なオープンアクセス・モデルが厳密な査読や編集・校閲と両立しないはずはない、と主張する。「丁寧な査読や編集は、結局のところ紙とインクの機能ではないのだ。」

グーテンベルク以前の写本出版(多くが学術的性格を持っていた)は、写字生によって担われていた。彼らは高い倫理性と知識を持つ、尊敬される職業だった。インドや中東などは彼らの蓄積と伝統を尊重して活字印刷を普及させなかった。活字印刷は知識へのオープンアクセスを飛躍的に拡大し、それによって近代は西欧中心のものとなったのだ。写本出版に比べると、初期の活字出版ははるかに専門性の低い、低俗に偏ったものだったが、社会はすべての問題を時間をかけて解決していった。それだけの価値があったからだ。筆者は初期の活字印刷に比べて、デジタルははるかに問題が少ないと考えている。それは長い間、活字印刷を支えてきたし、すでに大規模な設備や高度な技能を必要とする段階を過ぎ、そして何よりも、人間の知識を組込むことが出来る環境だからだ。

オープンアクセス学術出版はまだビジネスモデルとして未完成で多くの課題がある。とくに知識コミュニケーションの経済効用について研究や調査が進めば、「商業出版モデル」に代わる(広告を含む)ビジネスモデルの開発が進むだろう。例えば以下が検討の対象となる。

経済モデル
費用負担/収益配分
キュレーション
クラウドソース(資金、査読、編集等)
アクセスモデル
IPRの帰属と管理

(鎌田、11/19/2015)

参考記事

Scroll Up