サイモン&シュスター社は11月30日、ロマンス読者に新しい体験を提供する連続型小説配信サービス Craveをスタートさせた(リリース)。話題の新刊小説が、毎日1章分のテキストと、挿絵となる写真やビデオ、著者からのメッセージなどとともに毎日提供される。iOSとAndroidアプリで提供されるが、基本的にはスマートフォン読書を想定している。いずれは定額制にするともみられるが、ビジネスモデルはない。[全文=♥会員]
待ちきれない読書体験を目ざすCrave
S&S傘下のAtria BooksがUIデザインのParagraphの協力を得て立ち上げたCraveは「渇望する」という意味の動詞だが、S&Sの新シリーズは、熱中型読者が多いことで知られるロマンス分野で、デジタルに最適化した読書体験を提供することを目的としている。テキストはページめくりではなく、スクロールで表示され、また毎日(1章ごとに)新しい「ときめきの出会い」が用意されるなど、新しいE-Bookとデジタル読書の「型」をつくろうという意欲的なものだ。第1作は、コリーン・フーヴァーの『11月9日』で、先月に8ドルで通常版が刊行されている。
専用サイトから読み取れるS&Sの意欲は、かなり本気なもので、これをテストケースとして、反応がよければ、新刊ロマンス・タイトルのCrave対応化、既刊も含めての有償サービスに移行するものと考えられるが、選択肢として以下のような形が考えられる。
- 数十タイトル以上を揃えた定額制サービスとしてブランド化する。
- 印刷書籍とは独立したデジタル商品として単品販売する。
- Craveを新刊予約キャンペーンなどに使う(無償提供)。
どれも悪くないが、当面可能性があるのは3だろう。デジタルを補助的に使うことで、書店重視というタテマエと調和するし、印刷本やそのレプリカの読書体験に飽き足らない読者をある程度満足させられるからだ。途中まで読ませて、「続きは買ってね」というスタイル。しかし、Craveのフォーマットのほうが気に入ってしまった読者はどうなるのか、ということも気になる。Craveにはブックマークやシェアといった基本機能がないから、これを参考に、商用サービス/コンテンツらしく拡張したものを他社がやってしまう可能性もある。とくにロマンスでは、最大のライバルであるハーレクインを保有するハーパーコリンズやアマゾンもいるから、のんびりしているわけにはいかない。
定額サービスの成立条件
Craveが新しい読書体験を提供することは間違いない。それは「連続/連載小説」という、かつて新聞や雑誌などの定期刊行物の柱ともなった形式を、最も柔軟性のあるメディアで再生することにもなるし、映像、音声、ソーシャルなどの拡張も可能になる。アマゾンはシリアル出版を重視しているが、まだデジタル的にはリッチではない。紙という物質としての付加価値しか与えないものに対して、デジタルな付加価値を評価する世代が今後は主流になるのは自明であり、むしろそうした世代にスムーズに継承するためにも、これは商用サービスに移行すべきだと思われる。
このフォーマットを商業化する場合に問題となるのは定額制である。Scribdがロマンスをカットしたように、このジャンルの読者は最も熱心な(コンテンツ消費量が多い)ことで知られ、定額制とは相性が悪いと考えられている。しかし、筆者は逆に、ジャンル別の定額サービスというものを考えるならば、ロマンスはデジタルに適していると考えている。問題は他の出版社との競合で、タイトルが同じならば競争は月額料金の差になり、ストアと同様、複数が共存することは考えにくい。アマゾンでさえ、KDPセレクトしか扱わない。S&Sは、Craveをブランド化することでデジタルコンテンツのチャネルをアマゾンと同様、自社に限定すればよい。その場合、長期連載型のタイトルは、定額サービスの看板になるだろう。
定額制は21世紀のメディア世界における出版の主導性と読書空間を維持する上で重要なものだ。本は単品で売るものという固定観念は有害であると思う。しかし、たんにタイトルを多数並べただけでは、定額制は成立しない。一般に想定されたようなコンテンツ(新刊ベストセラー本)と顧客(多数の平均的読者)の組合せでは成立が困難であると筆者は考えてきた。果たして、最大のユーザーとデータを持ち、シミュレーションを繰り返してきたアマゾンは、そうしたアプローチをとらなかった。S&SのCraveは、アマゾンではない出版社が定額制で成功するための条件の一つになる可能性が高いと思われる。筆者が現在考える定額制サービスの成立条件は、
- 連続型コンテンツ
- デジタルネイティブ・コンテンツ
- デジタル版権独占
であり、それはたとえばSF、ファンタジーなどのジャンルフィクションだけでなく、ノン・フィクションに当て嵌まるだろう。ノン・フィクションはむしろ販売モデルに適さないタイトルが多く、例えば価格が3,000円を超える専門書では、学生以上なら毎月数冊程度は読む必要があるにも関わらず、本人あるいは雇用主の経済的理由でアクセスが困難になっている。それによって当然、出版点数も減っており、ITなどではもはや専門的スキルを維持できるだけのタイトルが入手困難であるか、そもそも採算に合わないので出版すらされていない。定額制は図書館以外の方法で<必要な>本へのアクセスを経済的に可能とする手段であると考えているが、これについては別に検討してみたい。ともかく、定額制は様々な応用が可能であり、なるべくアマゾン以外の企業によって開拓されることが望ましい。◆ (鎌田、12/08/2015)
参考記事
- Simon & Schuster Launches Serial Fiction App for Romance Superfans, By Ellen Harvey, Book Business, 12/04/2015
- Simon & Schuster Launches Serial Romance eBook App Designed to Make Readers Crave More, By Nate Hoffelder, The Digital Reader, 12/04/2015