『EPUB戦記』を読む

51fJmVyv1-L._SX335_BO1,204,203,200_待望の『EPUB戦記』(小林龍生著、慶應義塾大学出版会)が刊行された。約四半世紀にわたる、著者自身の電子出版との格闘を綴った貴重な記録であり、DTPからインターネット時代に至る、出版技術とそれをめぐる関連現場のインサイドストーリーとして出色の読み物となった。内容は実に多いが、筆者なりの感想を簡単に記しておきたい。

一人称の「歴史」

tatsuo_kobayashi本書は様々な機会に著者が書いた文章、というよりはドキュメント(日付とコンテクストが記録された文書)を駆使して構成されている。これらは一人称の「自分史」の断片だが、客観的に叙述された「戦記」のコンテクストを時間的、テーマ的に構成し、説明する下敷きとして意味を持っている。ドキュメントには、公開されたものも、私信もあり、こうした素材を使いやすくなったのはデジタル時代の恩恵だが、材料が多いほど扱うには知的タフネスを必要とし、とくに昔自分が書いたものと本気で付合うには忍耐と愛情も必要になる。これは著者が『ユニコード戦記』で薬籠中にしたスタイルで、昭和以来、久しくお目にかかったことがない。

著者の生涯のテーマである「日本語とテクノロジー」を通奏低音として響かせつつ、様々なテーマ、ジャンルの人物との出会いを自在に錯綜させて、この数年間のデジタル出版の焦点であった「EPUB3」を、適度な緊張感を持ったドキュメンタリーとして構成した(著者と担当の浦山毅氏の)編集力は見事だ。

第1章:大地とその時代
第2章:諫言の彼方に
第3章:EPUB戦記
第4章:書物の未来へ

EPUB_logo-280x150本書は、以上4つの章から構成され、外題の「EPUB戦記」は第3章に置かれている。分量としては3分の1ほどで、前史として「DTP」と「初期電子書籍」の部分がかなり重い。いや、読みやすく、分かりやすい文章なのだが、「ぼく」という(最近では軽くなる一方の)一人称主語と、堅固で精巧な記述スタイルのギャップに慣れるには、少々時間を要した。それは編集・制作を中心としたクリエイティブの世界と、文字コード、組版を中心としたテクノロジーの世界、そして閉鎖的な日本型組織とオープンで国際的なITコミュニティという、次元の異なる世界をワープしてきた人間にして可能なことなのだろう。

出版史の転換点とEPUBへの3本の伏線

著者が一貫して視ているのは、デジタルという未曽有の変化に巻き込まれた出版であり、プロローグの2章とEPUB3をめぐる攻防は、いわばそれを映しこむ万華鏡のような仕掛けとして機能している。愚見では、本書のテーマは出版(あるいは出版における日本語の運命)であって「国際標準化バトル」というのは額縁である(不可欠だが中心ではない)。どこまでが著者の目論見であったかどうかは不明だが、何年も前に「戦記」を期待されながら、中途で構想を放擲した筆者からみて、おそらくはベストな(歴史的事件の書記者としての誠実さを貫くほとんど唯一の)構成とスタイルのように思われる。これは多くの人が自分なりの「戦記」を書く際の祖型となるだろう。

EPUB3問題は、DTP(あるいはページ組版)で始まり、やがてデジタルの大海を主な活動の舞台とする出版の長い歴史の、おそらく最も重要な転換点における一コマであり、半世紀にわたって展開してきた出版とコンピュータの統合の最終段階に生まれた。まだそう老けていない著者だが、この半世紀の大部分に両方から関わっている。いわば幕末から明治中期までを、幕臣と新政府側で生きてきたようなものだ。この時期、爛熟の極みにあった木版文化は、活字印刷の津波を受けて歴史を閉じた。そのあとに生まれた新しい「日本語」はなお出版を悩ませ続けている。

unicode_chronicleまず、デジタルは文字から始まった。文字(活字)を扱うことが出発点で、文字コードが最初に問題になった。標準化になぜ異常に長い時間と努力が必要になったかは、著者の前著『ユニコード戦記』で知ることが出来る。簡単に言えば、「ラテン・アルファベットで十分」という狭い空間を超えた途端、「文字とは何か」「標準とは何か」という普遍に帰って議論する必要があったということだ。もちろんこれまでの出版の範囲を超えている。結局、誰もがユーザーとなるOSというユニバーサルなIT製品、インターネットという共有環境の普及で、状況は一変した。出版関係者も大人しくなった。

daichi次は文字組版。DTPは、これまで出版業界の世界で閉じていた「文字組版」をワープロの世界に広げることになった。このとき「電子出版」という言葉が広がったが、それは組版こそ出版というグーテンベルク以来の出版観に立ったものだった(筆者も『電子出版』という本を書いている)。しかし、ユニコードと同様、標準的デジタル組版への業界の抵抗も強く、結果として標準は(出来ても)普及しなかった。ターゲットは紙なので、しょせんはDTPソフトの機能と互換性の問題で終わってしまったのだ(それは商業的に不可能だった)。出版業界にとってDTPは、制作費の引下げに役立っただけだったと思う。写植・製版業界の犠牲の上に。

thumb188x300-images629809「初期電子書籍」。著者が経験した「電子書籍コンソーシアム」は、ネットワークと携帯端末という、今日のE-Bookのプロトタイプの実験だった。組版を通じて商業的出版を占有することを優先し、オープンなネットワークを嫌う出版界と、端末を売ることしか考えないIT業界の間で、著者が呻吟した(あるいは大いに功徳を積んだ)のは、本書に書かれている通り。当時筆者は、不遜にも、かの「不幸な家族」に関わらないことを勧めたのだが、著者の「出版への愛」はそれを許さなかったのだろう。今から見ると、初期電子書籍は、出版とは何かということが初めて問われる機会であったと思われる。ちなみにこの時、筆者は「出版」技術から離れて、インターネットで開放されたIT標準という大きな普遍の世界に遊び、そこそこ気楽にしていた。

EPUBそして「EPUB戦記」に入る。アマゾン(Kindle)によって、本が出版市場とともに再定義され、国境を超えたことで、「初期電子書籍」時代に避けていた問題に日本が再度直面することになった。しかし、ここでも文字組版という、出版技術の基本問題が立ちはだかる。W3CのHTMLのサブセットを採用したことで自然にに欧米標準になったEPUB(2)には、いわゆる「縦組・ルビ」はもちろん、日本語(多国語)組版機能はアジェンダに入っていなかった。当時のEPUBは複数の言語文化の共存という重要な問題意識が欠けていた。「バトル」は複雑な様相を呈した(以下別稿で続く)。 (鎌田、08/31/2016)

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