米国人の読書習慣に「異状なし」

reading_habit米国ギャラップ社は先週、米国人の読書習慣について12月に行った調査の結果を発表したが、結果は驚くべきものだった。つまり、デジタルメディアの増加の影響はみられず、14年前の2002年とほとんど変わっていなかったのだ。とはいえ、この種の調査は、人を安心させてはくれるが、ミスリードするものであることに注意しなくてはならない。

デジタルによる選択が拡大するも「読書離れ」はなし

gallup_logoレポートによれば、回答者の35%は過去1年間に11冊以上を読んでいたが、1冊も読まなかったのは16%で2%ポイント減少した。1~10冊読んだのは回答者の約半数(48%)だが、こちらは2ポイントの上昇。青年層に限れば53%で、「若者の読書離れ」は認められない。18-29歳の9割近くは1冊以上読んだと回答している。むしろ、全体として言えば、老年と青年は壮年より本を読んでいる、とギャラップ社は結論づけている。これは本を読むことが要求される大学生の傾向を反映しているとみられるが、日本の感覚からすると、これも驚くべきことかもしれない。14年前からの有意な変化は、青年層よりはむしろ65歳以上にみられ、1~10冊読んだのは68%から85%の7ポイント、11冊以上が33~37%の4ポイント、それぞれ向上している。

f6weijdgcu-krglcipjfjqたいへん結構、と言いたいところだが、「本を読んだか読まなかったか」という設問で読書習慣と読書市場を把握しようという調査には限界がある。「どんな本をどうやって読んだか」ということは聞いてないからだ。文化的=社会的活動としての「本を読む習慣」が衰退を示さなかったことを喜びつつ、定点観測を全体と取り違え、変化を見落としている可能性を考えてみる必要がある。読書の定点観測に意味があるのは、対象となるモノとコトが同じ尺度で比較可能な場合だけだ。

デジタルは読書にはニュートラル

The Digital Reader (01/11)のネイト・ホフェルダー氏は、分野と読書の分量、フォーマットが分からない調査から知り得ることは少ない、という。マンガ、小説、eシングル、Webからダウンロードして読んだ論文などを一緒くたにしては重要なことが分からなくなる、という指摘はもっともだ。同氏によれば、こうした「読書」調査の有効性は、「読む」という行為と「本」という形態が静止していた20世紀末で終わっている。これらを問わないデータを長期予測に使おうとすれば、年齢別人口構成の変化を無視して日本の20年後を予測するようなことになる。

メディア環境が変化しても、人々が「本」を読み続ける可能性が高いことは、書籍出版ビジネスにとっては前向きなことだが、有史以来、いつの時代でも本と読書はつねに存在し、拡大を続けてきたという以上の結論は得られそうもない。「識字率」と同様、「読書率」という概念と測定方法は時代が変わればアップデートが必要だ。

ところで、米国と違って、定点観測でも顕著に読書率が低下し、「義務的読書」が多い学生でさえ「無読書人口」に数えられる日本の場合はどう考えたらよいのだろう。こちらはデジタルとは無関係に、近世以来の読書熱が急速に薄れ、読書=教育=出世という図式が脆くも崩壊した日本の文化現象で、「非読書人」に対する社会的淘汰圧が働くなったということを考える必要があると思う。いずれにせよ、デジタルは読書にはニュートラルである。  (鎌田、01/12/2017)

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