先週号で、すでに動き始めた「分散コンテンツ」のビジネスと市場についてご紹介したが、じつはこの言葉は、登場以来10年以上も説明困難な状態のままである。なぜかを考えつつ、筆者なりの暫定的な説明をしておきたい。これこそが21世紀のコンテンツ/メディア・ビジネスの最大のキーワードとなると思われるからだ。
実体と仮想が分離したインターネット世界
「分散コンテンツ」を定義することは難しい。もちろんICT由来の用語だが、そちらの専門家でも要領を得た説明をできる人は少ないと思われる。Webはデジタルドキュメントをインターネット上に開放し、ドキュメント・モデル(目次と本文)を基本とするインタフェースを持つ分散システムを爆発的に生成した。これによってコンテンツもシステムも分散することが可能になり、実体と仮想が分離してアヴァターが乱舞する21世紀の新しい「現実」を生み出したが、最も直接的にその影響を受けたのが「メディア」の世界であったことは当然と言える。
「分散コンテンツ」を考える時には、つねにそれが「無常」であること、それが「影」であること、影を動かすもの(システム、ルール)とともにあることを忘れてはならない。分散は集中の、中身は容器の対概念であり、影のようなものだからだ。それは誰かが何かのために必要とする仮想的なコンテンツであって「実体」はないので積極的な定義はなく、しいていえば管理システム (CMS)によって定義され、ネットワーク上でアクセス可能なコンテンツ、ということになる。
分散している(distributed)のがコンテンツ(部分/全体)なのかCMSなのか、両方なのか、そしてコンテンツのサプライチェーン(制作・流通・利用)のどこに位置するのか、そして著者、出版社、メディア、広告主、広告プラットフォーム、アグリゲーター。SNSなどのステークホルダーの中の誰がビジネスのイニシアティブを握るのか。こうしたことはしだいに明確になっていくだろうが、重要なことは「分散コンテンツ」はすでにビジネスモデルのなかで機能しており、急成長の市場であり、そこも当然ながら変化の速い「無常」の世界となるということだ。
コンテンツは夢幻、諸行無常のメディア世界
誰もがこの「分散コンテンツ」という無常と付き合うほかない。コンテンツとメディアが不可分である書籍はもとより、紙の上で密に結合している雑誌などが、ビジネスモデルの妥当性を問われる。紙と物流に依存した既存のメディア・ビジネスは、コスト的にますます苦しくなる。インターネット環境は、著者/出版社から読者までのコミュニケーションが可視化され、その過程で様々なステークホルダーに価値を提供するコンテクストが利用可能になる。その環境は、われわれが慣れ親しんだものとは大きく異なるのだが、ネットに近いほど商業価値は大きく、遠いほどコストが重くなる。
「分散コンテンツ」は急速に21世紀のコンテンツ・ビジネスの中心に浮上するだろう。つまり様々なメディアが融合するインターネット時代のコンテンツの形は「分散=複合コンテンツ」になるだろうということだ。W3CへのIDPFの吸収は、21世紀の出版のビジネスモデルがWebを前提とするほかないことを出版界の主流が認めたことを意味している。◆ (鎌田、04/06/2017)