タブレットとE-Readerの明暗

Jobs_iPadiPad登場時 (2010)に喧伝された話題は「PC vs. タブレット」とともに「E-Reader vs. タブレット」だった。PCもKindleも過去のものという話だったが、どちらもマッチ・メイキングとしては消えてしまった。PCはもちろんだが、Kindleも実用レベルで読書というニッチな用途で定着し、アマゾンにとってもユーザーにとっても役に立っている。

 「日常」を選んだアマゾン、「永遠」を目ざしたジョブズ

KindleはタブレットのKindle Fireと同じ価格帯で、アンチ・ガジェットの汎用メディア・タブレットとしての実用的役割を果たしている。ガジェット・ファンには退屈なことこの上ないが、プライム会員をはじめとするユーザーは十分に満足している。もともとガジェット化を否定し、読書(あるいはメディアの消費)の道具以上のものではないことを印象づけていた。

ipad_by_size-280x150逆に、iPadがガジェット・ファンを興奮させることはなくなった。筆者の見るところ、アップルがジョブズ氏の禁を破って、iPhoneの肥大化(じつはAndroid化)に手を染めて以来だ。6インチに近づいたiPhoneの登場で、iPad miniは「電話のないiPhone」に過ぎなくなり、魅力を失った。ビジネス用途には価格が高すぎるし、iOSよりはmacOSが向いている。クラウド・サービスと結びつけるには他社(たとえばIBM)との関係に依存する。本来はこちらのほうに資金を投入すべきだったと思うが、ジョブズ以後のアップルは、彼の魔法の威力を過信し、ビジネスモデルの大胆な転換を成功させたマイクロソフトやアドビのような決断は影を潜めた。ウォール街とメディアがイノベーションのアイコンとして使い回したためだろう。

tim-cook_steve-jobs結局のところ、ITガジェットは幻想であり、OSとCPU、IOデバイスなどで実現される機能(仕掛け)の集積に過ぎない。時に機能はガジェットとしてさまざまに結晶化され、独立したモノとして対象化されるが、魔法が解ければ要素と機能とに分解される。ジョブズ氏がサムスンをタブレットのテクノロジーではなく「意匠権」で提訴するほどフォルムに拘ったのは、それが魔法の鍵と関係があったからだ。

彼は、iデバイスのフォルムを、アテネのパルテノン神殿やミロのヴィーナスのようなものと同じレベル(つまり美学)で考えていたのだと思う。数学には数式、音楽には楽式、詩には詩型、歌舞伎には型があり、それらは文化の永続性を象徴し、保障している。オリジナルのフォルムを失えば、それはコモディティと変わらない。

彼が生存していれば、外部スクリーンやAVなどのUIデバイスをアクティブでインテリジェントな機能で更新しつつ、様々に構成を変化するOSでイノベーションサポートするiPhoneとiPadは、それぞれ原型をとどめたまま「ガジェットを超えた生ける神話」として君臨し続けることを志向しただろう。皮肉なことにiPhoneの成功が、偉大な創業者の「永遠」への挑戦を不可能にしてしまった。諸行無常である。 (鎌田、10/19/2017)

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