カニバリズム論との決別 (1)アマゾン

ZEROSUM-0822cc1在来出版社は、デジタルの成長を抑制しようと望み、それ自身の売上を抑えることには成功し、2年以上にわたって、E-Book市場はほぼ直線的な下落を続けたのだが、その実相が明らかになったいま、自滅的な方針の背景にあったカニバリズム論の決別が重要であると考える。この亡霊にとり憑かれたままでは、出版は大きなものを失うからだ。

なぜ「知識人」ほどデジタルを怖れたのか

2015年にE-Bookが在来出版社の統計の上で下落を始めた時、旧メディアがこれを「紙の復活」から「デジタル疲れ」まで、あらゆる意味不明な表現で歓迎したことはまだ記憶に新しい。これは、E-Bookがいかに旧出版人から怖れられていたかを物語っている。彼らにとっては出版ではなく、フォーマット(紙)がより重要だったのだ。この倒錯には十分な理由があった。

The-Mutilation-of-UranusKindleの登場以来の10年、出版界は「お前の子がお前を殺す」という神託、あるいは「デジタルが紙を食べる」カニバリズムの恐怖にとり憑かれてきたのである。無理もない。2000年あまりの歴史がある冊子本 (codex)、500年以上の歴史のある印刷活字がともに(経済的合理性を失って)消えるというようなことはだれも望まない。そんな事態は阻止したいと思う心ある人々が多数いたのは健全なことだ。出版界の一部の人は、それをもって出版のデジタルへの転換を阻止できる(あるいは遅らせることが出来る)と考えた。そして書店に依拠する在来出版とアマゾンのプラットフォームに依拠するインディーズとの出版の分裂が決定的になった。(図はヴァザーリ作「ウラヌスを斃すクロノス」)

新しいメディアが憎まれるのは、旧いメディアの上に地位を築いてきた人々の社会的優位が失われるからだが、その際には現在の収入で暮らす業界の中よりも、本の知識を社会的上昇の手段としてきた「外」の人々のほうがはるかに保守的になる。旧メディアは階層的な「選別」システムで、未来に開かれた現在よりも確定した過去を重視するものだから、旧メディアと知識人にとってこそ新しいメディアは敵となる。現在を生きるクリエイターとコンテンツは、その時代において最も合理的なフォーマットを求めている。出版社が生き残るには後者とともにあるしかないのだが、周りを旧知識人に囲まれるので動けないのだ。それが移行を遅くする。

アマゾンが構築したデジタル・サイクル

space-stationもう一つ重要なことは、旧知識人にはデジタルに抵抗する自信があったことだ。売れる本を出版し、購入して読んでくれる相手を見つけ(集め)、持続的に採算をとる体制を前提とするが、それには、企画を書き、本を書き、書評を書く仕事に携わってきた(歴史的に形成されてきた)コミュニティの協力が不可欠で、大出版社の外では不可能と思われた。

出版の部外者であり、たかだかオンライン書店に過ぎないものが、既成の(印刷本)エコシステムの外で大規模な出版のサイクルをつくれるはずはない。出版社や書店経営がいかに難しいことは、新規参入の乏しさが示している。いくら資金を投入し、編集や販売にトップレベルの人材を得ても、デジタルでは採算をとることすら難しいだろう。アマゾンの顧客ベースは成功の必要条件ではあっても十分条件にはならない。この問題はあまり議論されてこなかったが、他のE-Bookサービス、オンライン書店が失敗の山を築いてきた理由になるはずだ。

この問題は別に論じたいが、結論から言えば、以下のように考えることが出来ると思う。

  1. アマゾンは出版というものを、一発勝負のプロセスの繰返しではなく、次の出版/販売/読書に繋がるサイクルとして(販売においても)考えていた。
  2. そのためにWeb上の顧客の行動を、トレンドでもパーソナルでも把握・予測するシステムを構築し、改良を重ねてきた。
  3. アマゾンは「出版」「販売」「読書」といった個々の側面のデジタル化ではなく、総体を再帰的なシステムとして再構築した。

これはWebで完結し、自動的にデータを記録、分析する体制がなければ不可能であるが、アマゾンはそのシステムを設計・構築・運用している。こうして出版のサイクルを支えるプラットフォームは、自然に成長する人間臭さを持ったエコシステムではなく、AIにサポートされた宇宙ステーションのようなものとなった。 (鎌田、10/05/2017)

 

 

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