Kindle以後ノート(7):最後の次の真実

finish本 (出版)が儲からない理由は、昔から関係者が頭を悩ませてきたことだが、理由があまりに多すぎて、これまで共通の課題として考えられてこなかったように思う。最近、アマゾンという「不思議な本屋」が現れて、常識を超えた方法(『Kindleの十大発明』で書いた)で楼閣を築いてビジネスのやり方を変えつつある。アマゾンが何を見つけたのかを考えてみよう。

出版の基本原理:表現・共有・社会

まず、「儲ける」という言葉には限定(5W)が必要なので、当事者にとって出版とは何であるかを定義してみる。(S=ステークホルダー)

  • 言語/表現は、人類の普遍的行為である。[S:著者・クリエイター] (A)
  • 共有は、共同性を維持する社会的行為である。[S:読者・オーディエンス] (B)
  • 出版は両者の実現で、価値の発見と社会的共有を意味する。[S:オーディエンス・専門家] (C)

つまり、言語/表現は物質的・金銭的動機がなくても存在するが、表現を共有可能に最適化し、コンテンツ化する専門職として出版者が登場することで「出版」が生まれる。これは時代やメディアを超えている。表現(人と内容)が無限であるのに対し、共有の手段(メディア)は限られる。この希少性が出版に形を与えてきた。もし誰でも出版ができ、その価値を理解できなければ、出版はビジネスにはならない。希少なままであれば、表現と共有と知識化のサイクルは狭い範囲に止まる。

周知のように、金属活字印刷技術の発明によって、表現・共有・知識化サイクルは無限の発展の道を歩き始めた。希少性はしだいに緩和され、そのたびに新しい均衡が生まれたが、デジタルに至って解消され、インターネットによって共有のための制約も事実上なくなった。

これは、版の上に構築されたエコシステムに致命的な打撃を与えた。最初の問題は、希少性がなくなったことによって、希少な情報を抽出・精錬したり、熟成・発酵するといった職業的専門家が安定収入を失ったことだ。希少性があればこそ、それに相応しい人材を発見して育て、それを扱う専門知識と技術と技を時間を懸けて学ぶ意味がある。

「希少」が終わり「過疎」の時代が始まった

flooding-and-droughtそれ以上に大きな問題は、メディアの希少性はなくなったものの、知恵の希少性の問題は拡大したことだ。コンテンツの密度はメディア空間に反比例する。メディアは膨大なコピーとフェイクとゴシップでつねに満たされ、希少性の解消によって希薄化した知識は、社会にとって有用な知恵として実現しにくくなる。出版は、希少な知識の構造性を社会的な共有・豊富化・検証によって社会化していく機能を果たす余裕を失っている。この情報のビッグバンと知恵の希薄化問題こそ、21世紀の最大の問題である。20世紀までは機能していた活字印刷による希少化秩序は、もう戻らない。それは希少化秩序は非対称性で支えられていたのだが、それが復活する可能性は低いからだ。1%の支配層が知識を管理する社会でない限り。

なぜ出版が儲からなくなったのか。それは、希少化が解消され非対称でもなくなったはずの社会で、逆に「共有問題」が深刻になっているからだ。人々は情報が過剰なのではなく、生きる知恵と勇気を与えてくれる「密度=結合」が欠けていることを感じている。かつて乏しい情報からアイデアやストーリーを産み出してきた出版専門家(あるいはその後継者)たちに、それが出来ないはずはないし、遠からず出来るようになるはずだ。なぜなら「表現・共有・知識化」のサイクルを再構築する環境はできつつあるからだ。「不思議な本屋」アマゾンはそのことを予見している。 (鎌田、06/06/2018)

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